4時頃に目が覚めた。すぐまた眠れるだろうと、昨夜の職場の飲み会で話した事を思い返しながら目を閉じていた。私の興味本位の質問たちに、あの人は不快にならなかっただろうか。あの人はまた所在なさげにしている。あの人と本や映画の話をする事になるとは思いもよらなかった。

 

眠気がやってこない。愛犬はすぐ横で丸くなって寝ている。ネットニュースを眺める。高齢者の交通事故の記事を読み、双方の、こういう未来が訪れるなんて思いもしなかっただろう現実に、胸の中でうごめく何かがあった。その電話を取った息子さんの心中はいかばかりか。

 

余計眠れなくなった。電気を付け、読みかけていた、西加奈子さんの「こうふく あかの」を開いた。頂き物のレザーのブックカバーの手触りが心地良い。主人公がこの先、どういう心持ちで生きていくのか、知るのが少し怖い。涙が何粒か出てきて、枕をくるんでいるタオルが少し濡れた。このタオルは私の昔の結婚祝いに、友達のお母さんがくれたものだ。柔らかく、肌に当たると気持ちいいから、いつしか枕用になった。

 

愛犬が起きて、クルクル回っている。何を思っているんだろう。本を読み進めようか、電気を消して目をつぶろうか、迷っている。

犬と弁当とわたし

愛犬、ブルブルブルと身体を震わす犬特有の動作をするも、その勢いに踏ん張りきれず、転んだ。フラフラと、クルクルと回る。回り続ける。心配になるくらいに。「バターになるよ」って話しかけたくらいに。水をピチャピチャと飲み、ちょこっとご飯を食べる。イチローの会見じゃないけど、ほんとにこういう姿に尊さを感じる。生きるとはこういう事かと。出来る事を粛々と。今朝、目が覚めたら、布団のすぐ横で、おすわりした状態でこちらを見ていた。いや、座ったまま寝ていたのかもしれない。

 

今日の夜、京極さんは、ごめん食べれなかった、とお弁当を出してきた。お客さんと行動を共にしたよう。なんだろう、その正直さに、何一つ、残念とかそういう感情が湧かなかった。いいんだよーってなった。幼い頃の私なら、言いにくくてこそっとどこかに捨てたかもしれない。無理されるのを嫌う私の事をわかっている人。あと、お弁当作りに全く気合いを入れていないからっていうのもあるのかも。頑張ってるっていう意識がないから、それが相手に届かなくてもさして感情が揺さぶられない。何が自分にとって自然であるかが徐々にわかってきた。一生懸命隠さないといけない事がないって、なんて楽なんだろう。あ、このブログの存在は隠してるけども。

 

今日は森田芳光監督の「わたし出すわ」を観た。小雪が道新ぶんぶん倶楽部のラッピング市電に乗ってた。函館の落ち着いた街並みが淡々と。見返りを求めない1人クラウドファンディング。こうなっていったら嫌だなぁ・・と思う方にいかなくて安堵。懐の深さを感じる映画だった。それぞれがどうなっていったのか、布団の中で思い返そう。ジョージクルーニーはお金をあげた人達と今もうまくやれているといいな。

贈り物

なんとなく、この人はきっとお金持ちのお嬢様なんだろうな、と思っていた女性がいた。どこか控えめで、奥ゆかしい、私より何歳か年上の人。その人は先月末で任期満了で退職した。

 

いつから始まった風習なのかわからないが、退職する女性は、お世話になった人へお礼を伝えに行く際、個包装のお菓子がいくつか入った包みやおかきなど、贈り物を携えている事が多い。先月末、ありがたい事に数人から頂いた。これから環境が変わって何かとお金がかかるだろうから、なんも出費しなくていいのに、と思うが、自分も同じ立場なら同じことをするだろうし、お菓子はいつだって嬉しいものだ。

 

そんな中、前述した女性は、私から何度か手作りお菓子をもらったからと、手のひらサイズのブラシと石鹸をくれた。なんてオシャレな贈り物!と思った。髪が伸びてきたから、持ち歩く用にとかすものが欲しいって思ってたの、なんでわかった?!と驚いた。そのブラシは、軽くて、持ち手が木製で、丸みがあってスベスベしている。髪をとかし終わった後、そのスベスベ具合を手のひらや手の甲で味わったりしている。クンクン匂いを嗅いだりもした。完全なる無臭だった。

 

お昼ご飯を食べ終わって、歯を磨き、眼鏡を拭き、そのブラシで髪をとかす。本を読む。本を鞄にしまって、また髪をとかし、午後の仕事へ。そのブラシを手にする時、なんだか少しだけ綺麗になれるような、そんな期待を抱かせてもらえる。それをくれた女性の髪を綺麗と本人に言った事があったし、私が髪を伸ばしている事も気付いてくれていたんだと思う。もしかしたらもう会えないかもしれないが、それがまた特別な感じがしてる。その人の笑顔をこれからも覚えているだろうし、しっかりとぬくもりが残っている。

昨日は

京極さんと外出。

お昼ご飯は西11丁目駅の「ゴーゴーイレブン」。京極さんはローストビーフ丼、私はハンバーグ&ローストビーフ丼。美味しかったなぁ。優秀なバイプレイヤー温玉。ローストビーフがもっと欲しい・・・という私の欲求を察してくれた、いや、私の口からその欲望を聞いた京極さんが少し分けてくれた。

 

お目当ての映画まで時間があったので、セブンでワッフルとお団子を買って大通公園で食べた。「外で食べよっか」という言葉が自然に出るくらい、暖かくなったのだ。あ!その前に寄った私のお気に入りの洋菓子屋さん「プチショコラ」が閉店していてショックだった。表面に粉糖をまぶしたくるみのクッキーが大大大好きで、西11丁目駅付近に行った時は必ず寄っていた。いつ何が無くなるか、わからない。つい永遠にあるような気がしてしまう。私の「好き」が宙に浮いたまま、漂っている。

 

観た映画はトーマス・パイパー監督作「FIVE SEASONS」。庭の空間デザインをするピート・アウドルフ氏のドキュメンタリー映画。美しかった。彼が綿密に計算して作り上げたものなのだけど、それを感じさせないくらい、ずっと昔から自然にそこにあったように存在する植物達。それらが、光を受け、風に揺られ、生きていた。彼が描くデザイン画がカラフルでセクシー。それを形にしようと取り組む人達に対して、厳しさよりも柔らかさを持って接していた。彼が口にした「ビューティフル」という言葉は、内から溢れ出た、熱い塊のような吐息だった。

 

この映画を観るまでは、ガーデニングといえば生き生きと咲く花が主役と考えていた。でも、日ごとに移り変わっていく姿、朽ちていく姿、初々しい緑から、落ち着いた黄金色に変化していく姿、全てが美しいんだと知った。「滝を見にいく」のジュンジュンが可愛い!と話す、声だけでニコニコ顔が伝わってくる大川編集長の事を思い出した。

 

映画を観終わり、まだ15時だけど近いし行ってみるか、と「タビビトハンテン」へ。ここはアラオカさんのお友達がやってる飲食店「tabibito キッチン」の二号店。京極さんはビール、私はグレープフルーツサワー。そして、焼き餃子(5個)、茹で餃子(5個)を半分こずつ。焼き餃子は酢と胡椒で。どちらもとっても美味しかった。あっさりしていて、まとまっていて、何個でも食べたくなる感じ。がっつりいきたい時はまんぷくや、あっさりいきたい時はこちらだな。ビールケースをひっくり返した椅子も気軽でいい感じ。西11丁目近辺、ナイス!私たちは最近ちょい飲みを気に入っていて、サッと飲んで、スッと帰るってのを実践している。なので、今回も上記のものだけ楽しんでお店を出た。同じビルに入っている古本屋さんが面白かった。映画のポスター(小さめのやつ)やパンフレットも売ってた。

 

その後はカフェで読書。アガサ・クリスティの「春にして君を離れ」を数ページ読むが、近くにいる人の会話が気になってあまり集中できず。大きいおじさん(雇ってる方)が、若い女の子(辞る方)に説教していた。あくまでもキレてないんですよーの感じを出しているのが逆に怖かった。春にして彼を離れ。

 

夜は録画した「風立ちぬ」を二人で観た。地震のシーンが昔に観た時より胸に迫った。やはり好きな映画。好きな人が仕事をする横で布団で眠る。いいな。「ひこうき雲」のある箇所だけをエンドレスで歌う私に、京極さんは「2番とかないの?」と笑っていた。

 

今日は単独で映画観てくるー!

 

 

 

ごはんぐるり、ビバ

西加奈子さんの「ごはんぐるり」という本は、食にまつわるエッセイの他、短編小説、料理人の竹花いち子さんとの対談、竹花さんのレシピが収められているという、全部美味しくてどうしよう、という一冊である。今、どないしよう、って打ちかけたくらいである。

 

私は週末はほぼ料理をしない。京極さんにお任せしたり、外食したり、買ったもので済ませたりする。そんな私だが、「ごはんぐるり」を読んだ土曜日の夜、「明日の夜、これ作るから」と竹花さんのレシピを見せながら、どや顔で宣言した。日曜日だけど、やったるで、と鼻息を荒くした。実際、作った。作ってる時は、これ美味しいんだろうか!でも全部美味しい具材なんだから、まぁまずくはないだろう!という心境だった。結果、とても美味しかった。うまっ、って言いながら、なんか笑いが込み上げてきた。京極さんからも好評を博した。

 

何を作ったかは「ごはんぐるり」を手に取って確認していただきたいのだが、それには普段ほぼ買わない食材が入っていた。「大好きだけど高いから」買わないタラコ、「人生においてあまり重要視したことがない、何なら小さいころ苦手だった」紅生姜。レシピを忠実に守りたかったので、思い切って買った。結果、紅生姜はとてもいいアクセントになっていて、ちょっと見直した。

 

余ったタラコは、翌日のお弁当の白米の上に乗っけて、夜はポテサラに混ぜて、タラモサラダにした。モってなに?紅生姜はいまいち使い道がピンとこなかったのだが、先ほど、明日のお弁当用に使ってみた。卵に、紅生姜・小口ねぎ・青のり・マヨ・おたふくソースを一気に入れちゃって、焼いた。美味しいかどうかは明日の12時2分くらいにわかる。今、冷ましているところ。

スーパーにて

平日の、取り立てて予定のない日は、仕事帰りに同じスーパーに寄っている。店内を舐め回すように、いや、ぼへらーっと見つめ、夕飯の献立を決める。

先日の話。身の厚い天然ぶりが2切れ300円のパックに、半額シールが貼っていた。「おぉ、いいね。今夜はぶりの照り焼きだな!」と手に取った。そして10歩ほど歩いた時、店員さんが声を掛けてきた。イヤホンを外すと、「そちらのぶり、今から100円になります」との事。なんと!安さよりも、わざわざ追いかけてまでそれを伝えてくれた事に感動。私が店員だったら、「安くする前に1つ売れてラッキー・・(ニヤリ)」って思ったと思うんだ。

 

追いかけてきてくれたのは若い男性の店員さん。値引きシールを準備してる年配の店員さんに、「優しい!」と言ったら、「そうなんです!うちは優しいんです!」と言うからウハハっと笑った。さらに、「この人がいる時はアラ買った方がいいよ!身が沢山付いてるから!」と若い店員さんをいじりだし、ちょっと勘弁してくださいよーみたいな感じの盛り上がりがあった。思いがけない交流に、なんだか朗らかな心地。あの人達が選んで並べている魚をこれからもっと食べていこうと思った。

 

今日の早口言葉

ブリーフ履いたブリッコの焼くブリ、久しぶり

 

 

 

 

動物病院には、看板犬であり輸血犬として、白くてフワフワの、四つん這いにした私よりでかいであろうメスのワンコがいる。私は愛犬を抱っこして顔を近づけたけど、でかさにビビったのか目を合わせようとしない。その様子に私も京極さんも笑ってたんだけど、今思うと、「思い出のマーニー」で仲良くない子とお祭り行かせるくらいのことなんじゃないかと思った。お祭りってよっぽど仲良くないと行けない。

 

今日の愛犬は今までで最長のクルクルタイム。足腰の鍛錬になると前向きに考えてるけど、落ち着かない様子を見ているのは私も落ち着かない。今は私の横で、私の布団のど真ん中で、眠っている。いいよ、君の布団だ。君の家だ。なんでこんなに可愛い妖精がそばにいてくれるんだろうってよく思ってる。己がお金で買ったんだけども。愛しさの塊。あいみょんじゃないけど、まじでアイラブユーじゃ足りない。

 

どれくらい見えないのか、何を思ってるのかわからないこと、話せないことに、少しほっとしたりもしてるんだ。