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一つの別れ

21時台の「ドント・ブリーズ」まで、札駅で紅茶を飲んでいる所です。

 

今週水曜、父方の祖母が亡くなりました。これで、私の祖父・祖母はみな天に召しました。

祖母は93歳でした。10数年前から、病院と特養を転々とし、私の父、祖母にとっては一人息子が亡くなった時も入院をしていたので、葬儀に来ることも不可能でした。私は父の冷たい身体に触れる事が出来たけど、祖母は私の兄から父の死を聞かされただけなので、中々現実を受け止める事が出来ず、辛かっただろうと思います。祖母は、脳内で時空をタイムスリップすることはありましたが、私達家族の事を忘れることは最後までありませんでした。お見舞いに行くといつも、ありがとう、と言ってくれました。

 

私は母と兄よりも、お見舞いの回数は少なく、おばあちゃんに会いたいのか、お見舞いに行っていない居心地の悪さを解消する為に行ってるのかわからなくなっていました。大抵、顔を見て、みんな元気にしてるよ、と伝えて、10分ちょっとで病院を後にしていました。そんな自分が、最後、1人で祖母を看取りました。祖母がもうそろそろ危ないと知り、母はお昼に病院へ行き、自分の病院があるので帰宅し、兄は出張中。私は仕事が終わってから向かい、18時に病院に着きました。酸素マスクを付け、かろうじて息をしているものの、手を握っても反応がなく、その手もとても冷えていました。声を掛けても反応はありません。何度か看護師さんが様子を見に来てくれ、もうそろそろ、と私に伝えました。母と兄に連絡をしました。最期は、ドラマや映画のように、手から手が滑り落ちることもなく、目をカッと見開くこともなく、ただ呼吸と呼吸の間隔が長くなり、言葉通り、息絶えました。

 

母と兄が到着し、葬儀屋さんに連絡をとりました。兄は体調が悪かったので帰宅してもらい、母と私が、祖母の遺体と共に葬儀場へ行きました。葬儀屋さんと諸々打ち合わせをしたんですが、もし私が葬儀屋さんだったら、終わった後に悪口を言いたくなるくらい、きっと私はキツい言い方をしていたと思います。母は私に決定権を託してくれていたので、「家族3人だけで見送るので、これはいらないです」「もっと安いのは無いんですか?」「これ5個も必要ですか?2個じゃだめなんですか?」と二代目蓮舫とあだ名がつきそうなレベルで仕分けをしていきました。もし母だけだったら、価格は4倍くらいになっていたと思います。日頃から、私は母に、「そんなに人の目気にしてどうするの?」「そんな見栄はってどうするの?」とよく言っていました。母はそういう意識は少しはあったとは思いますが、ただただ優しいんですよね。目の前の人を傷つけたくない、期待に応える自分でいたい、祖母の為に最後に色々してあげたい、色んな感情がグルグルしていたようでした。私はあくまでもクールに必要最低限なものを選びました。葬儀屋さんは一度も嫌な顔はせず、全て意向に沿ってくれました。今振り返っても、私はつくづく可愛くない女だと思いました。

 

その一晩は葬儀屋さんに祖母を預け、母と私は帰宅しました。家に着いたのは23時。翌日の湯灌は兄と母に任せることにし、私は通常通り出勤する為に朝起きると、ストーブがつけっぱなしで、部屋が暑く乾燥していました。こんな事は今までになく、ちゃんとやれているつもりでも、やはりいつもとは違うんだと感じた瞬間でした。

 

つづく