生活のランクを落として買わなくなったものはありますか?

短大を卒業後、一般企業に正社員として入社した。その会社を3年半で辞め、その後、派遣社員契約社員という雇用形態で、いくつかの会社で雇ってもらった。現在も最長3年の契約社員だ。

 

転職する度に新たな出会いがあり、知識も増え、どの経験も無駄じゃなかったと言い切れる。退職してからも交流が続いている大切な人が何人もいる。いくつかの転職(と恋)は、私を強くした。

 

ただ、初めて勤めた会社からもらった年収を、その後超えたことは一度もない。夏と冬のボーナスが大きかった。22歳くらいまで実家にいたので、毎月少しの金額を親に渡し、残りは全て自由に使えた。ウハウハだった。

 

その会社を辞めた後、手取りが減り、スキンケア用品のランクを下げた時の寂しさは、今でもよく覚えている。


私は社会人になるまで、肌や化粧に無頓着で、常にスッピンだった。お給料をもらえるようになり、デパートの1階にある「アルビオン」という肌に合う化粧品ブランドに出会った。

 

メイク落とし・化粧水・乳液・美容液・ファンデーションをアルビオンで揃えた。カウンターで美容部員さんと会話を交わし、新商品のサンプルをもらい、綺麗な紙袋を持ってお店を後にする瞬間が心地良かった。映画「紙の月」の主人公が最初に一線を越えてしまう舞台は、確か化粧品のカウンターだった。あの場所には華やかな魅力と魔力がある。働いたお金でこれを買える。それがあの頃の自分のステイタスだったのだろう。

 

朝と晩、アルビオンで肌を整える時間は至福だった。荒木経惟さんのサイン会があると知って、いつもより高い美容液を買ったこともある。少しでも綺麗に見られたかったあの頃の自分が微笑ましい。顔は変えられないけど、肌は変えられる。肌の調子が良いと、気分も明るくなった。

 

退職後、アルビオンを使い続けるのが難しくなり、ドラッグストアで買えるものに切り替えていった。肌に最も大切なのはメイク落としだと思っていて、それだけは粘って最後まで残したが、結局今は違うものを使っている。

 

もし溢れるほどのお金を手にしたら、またアルビオンを買いたいと思うのだろうか。今だとそのお金を映画や本に使いたいと思うかもしれない。使ってもあの頃と同じ感動を味わえるかどうかもわからない。「君の部屋のソファーにも座った でも決して昔と同じじゃない」とB'zの稲葉さんが歌っていた。そして「ほんの少し離れて歩く 傷つかないように」と続く。小・中学生の頃、部屋の天井に稲葉さんのポスターを貼っていた。しかもベッドの真上。稲葉さんに見つめられながら、いや、稲葉さんを見つめながら、毎夜グースカ寝ていた。(脱線ムービーならぬ脱線ブログ。略して脱ブー。)

 

今のスキンケアの時間にワクワク感は無いが、買うときに負担を感じないし、分相応だと思っている。アイテムもどんどんシンプルなものになっていった。今の肌も、年相応で割と気に入っている。

 

アキ・カウリスマキ監督の「浮き雲」を観て、そんな事を考えた。