お墓参りとお蕎麦

今日は、午前10時の映画祭で「ローマの休日」、母とお墓参り、7月分の映画スクラップ、4時間昼寝、お菓子バクバク、カレー食べたい、そして今。

 

13時、麻生駅発の無料バスで母とばらと霊園へ。車内では、天気が良くてよかったって話、オードリーのウエストが細いって話、斉藤由貴に不倫報道があったところで、あの人の可愛らしい雰囲気とか、素敵な女優さんであるってことは何ひとつ損なわれないって話、私の友達ががんになった話などをした。お墓に水をかけ、花・ろうそく・線香を手向け、これからお参りするって段で母がわさわさ荷物を片付けだしたので、「手合わせてから片付けたら?」って私が言ったら、「あ!まだやってなかったか!」って言ったから笑った。帰りのバスでは、(お墓参り)終わってほっとしたねーと母。父方と母方のお墓が両方ばらと霊園にあるから一度で済んで楽だねって話をした。

 

麻生駅にあるスーパーでお蕎麦を食べた。昨年もそのお店に行ったんだけど、その時は天ざるのサービスデーで、二人で喜んで食べた。今回はミニ天丼がついたお蕎麦が700円だったので、ご飯残してもいいからそれにしたら?と母に言って、二人でそれにした。海老天大好き。ライムスターの「ちょうどいい」を思い出しながら、蕎麦湯を飲んだ。普通のもりそばって量足りないよね、5口くらいで食べちゃうよね、お昼ご飯と夜ご飯の間に食べても支障なさそうだよね、いつも何かの帰りにはお蕎麦食べてたよね、と話をしていたら、母が「パパ、お蕎麦好きだったもんね」と言った。

 

お墓参りや日曜日にスーパーに買い物に行った帰りに、よく家族で寄ったお店があった。父が亡くなり、そこに行く機会はなくなった。ある時期、私は散歩をよくしていた。今回はいつもより遠くに行ってみようと距離を伸ばしたら、偶然そのお蕎麦屋さんに出くわした。いつも父の車で行っていたから住所を把握していなくて、案外近い場所にあった事に驚いた。懐かしさも手伝って、休憩がてらお蕎麦を食べたんだけど、その時の味が、家族みんなで食べていた時の味と寸分変わらずで、急に涙が出てきた。もうみんなで食べられないけど、同じお蕎麦はまだあった。同じお蕎麦はまだあるけど、もうみんなで食べられない。父の不在が急に現実のものに感じられた。泣きながらお蕎麦をすするなんて、きっともうないんだろうな。

 

母は天ぷらとお蕎麦完食。帰りにサザエでお赤飯を買っていた。地下鉄でも、お墓参り終わってホッとした、と言っていた。何年先も、何十年先も、ずっとこんな風に二人で過ごしたいけど、そうはいかないんだろうなって考えると寂しくなった。父はあまりに急な死だったので、なんの覚悟がないまま、押し寄せてきた波に飲まれた。お蕎麦を食べて涙が出てきたあの時は、静かに岸に打ち上げられた瞬間だったのかもしれない。