覆面読書会2017秋「ムーン・パレス」エントリーNo.4

※感想文によっては一部ネタバレを含みます。

 

孤独と偶然。この印象が強い。

ポール・オースター作品を読むのははじめてではないが、かなり前に読んだため内容はほとんど覚えていない。ただ以前に読んだ作品でもこれを、孤独と偶然、の印象を強く感じたのは覚えている。ポール・オースター作品に共通するモチーフなのかもしれない。

「ムーン・パレス」の話の流れを端的に説明すると、孤独になり、偶然の出会いにより助けられ、また孤独になる、となる。孤独、出会い、孤独。孤独にはじまり、孤独に終わる。しかしこの最初の孤独と最後の孤独は大きく違う。

主人公マーコの唯一の、たった一人の血縁であるビクター伯父さんが亡くなる。このとき伯父はマーコに多くの本を残す。マーコはこの膨大な本を読み、本を売って暮らすようになる。マーコはこの膨大な本に読むことに固執し、云い方を変えれば本を読むことに逃げ、自分を追い詰めることになる。

しかし伯父さんがマーコに対して残したものはもうひとつあるように思う。それはユーモアだ。

珍説のようなジョークが得意なビクター伯父さん。マーコは伯父さん流ユーモアの通になっていく。伯父さんのジョークに対する伯母さんの反応がよくなければ、それについて胸を痛めるほど。伯父さんが悪趣味な絵葉書を送ってくれば、それを自分たちだけに通じるジョークのように感じるほど。こうしてビクター伯父さんはマーコにユーモアの感性を残したのだ。

「ムーン・パレス」は読んでいて楽しい小説である。読了後に何か大きなものが残る、というよりも読んでいる途中がとにかく楽しい。「ムーン・パレス」は青春小説であり、コメディだと思うが、このコメディの大きな部分を担っているのがマーコの持つユーモアだと感じている。そしてこのマーコの持つユーモアは彼自身を助けている。

マーコの窮地を救うことになるかわいい中国人娘のキティ。たしかに彼女との出会いは偶然である。偶然の出会いではあるが、彼女が彼を助けたのは、出会ったときの会話の内容からだと思う。マーコはこの時、とにかく追い詰められた状況であった。余裕がなかった。ただユーモアは忘れていなかった。初対面の連中に対し、「キティの双子の兄弟です」などと宣言をするマーコ。そこを頭の良いキティが見抜いたのだと思う。マーコのユーモアが彼を助けたのだ。

その後マーコはある老人の元で働くことになるが、この偏屈な老人のために働き続けることができたのも彼の持つユーモアのおかげである気がする。

さらにマーコの人生は不思議でやや荒唐無稽に展開する。また何人かの人生が語られるが、微妙にそれぞれが重なるような部分もある。この人生の反芻のような部分もこの作品の魅力かと思う。

マーコは物語の終盤で、再び全てを失う。失い続け、孤独となる。だが伯父さんが亡くなったときの孤独とは明らかに違う。

キティと、老人エフィングと、エフィングの息子であるバーバーと出会ったあとの彼であれば、孤独になっても強く生きていけるだろう。軽く笑えるユーモアと。うまくやり抜く賢さと。大げさに云うのならばきっとそういう事なんだろうね。