覆面読書会2017秋「ムーン・パレス」エントリーNo.6

※感想文によっては一部ネタバレを含みます。

 

そろそろコタツを出そう。秋はいつも控えめにやってくる。読み慣れていない洋書に構えていたからか、主人公が思い切った買い物をする時の「清水の舞台から飛び降りるつもりで」ってセンテンスが妙におかしかった。

 

マーク・フォッグはビクター伯父さんから1492冊の本を譲り受けた。伯父さんの死後、放置していた本を読み始めたのは、彼なりの悼みだった。「そもそもビクター伯父さんの書物収集には、いかなる意味における組織性もなかった。本を一冊買うたびに、書棚の、すぐ前に買った本の隣に置くだけだった。」

 

ここで私の脳内は、別の世界にトリップした。

 

ちょうどいい店が見つからず、彼の家で飲み直すこととなった。エレベーターが上がるごとに減る口数。静けさが騒がしい。「へー、こんな感じなんだ」と部屋を見渡しながら、淡いピンクのストールを折り畳む。部屋の奥には壁一面を覆う木製の本棚。文庫本もハードカバーも漫画も雑誌も写真集も、全てごちゃまぜに並んでいる。ちょっと半笑いで、「本棚すごいね。並べないの?種類ごととか」と聞く私に、「並んでるよ。買った順。」と彼は窓を開けながら答えた。買った順・・・思いがけない答えに言葉が出なかった。時が並んでいる。紛れもない彼の軌跡。この本棚は風を含んでいる。何故か性急に抱かれたくなった。この本をめくった指に、触れた事が無かった。鞄を床に置き、ネイビーの前開きワンピースのボタンに手をかける。「この本棚の前で抱いて欲しい。」冗談だと思ったのか、彼は「ははっ。その辺に座ってて。」と私に背を向けてキッチンへ進んでいった。結構マジだったんだけどな・・・外した2つのボタンを留め、鞄を拾い上げながら、「でも漫画は並べた方が一気読みしやすいよね。ドラゴンボールの背表紙見てヤジロベー2人いるとか思いたいもん。」と考えた。持続しない自分のロマンティック具合に、ふっと息が漏れた。

 

これは感想文ではなく妄想文だとお叱りを受けそう。叱ってください。私だってまさかあの一文にここまでピクンとするなんて思わなかった。読書とは自分を知る作業だ。

 

私は主役の彼に何度も話しかけていた。

カレーくらいなら作るよ。あの人の話長かったわぁ。伯父さんと一緒に観た映画、私も観たよ。80日間世界一周。すっかり旅した気分。日本にも来てたね。「あなたは本当に英国紳士ですわね」「私は私だ」って、くー、渋い!カメオ出演フランク・シナトラ、格好良かった。「急ぐと人生損するわ」ってセリフも良くてね。私も変に焦って急いでいた時期があったよ。今となっては狭い場所に自分を閉じ込めていたなって思うんだ。伯父さんの本棚みたく、世界に一つだけの人生を歩めばいいんだよね。誰に評価されるものでもない、自分なり本棚でいい。誰だって優しくしてもらう権利はあるって言い切れるあなたは素敵だと思う。お疲れ様。何も聞かないから横で飲んでいい?

 

何かを失っても、歩き続ければまた何かに出会う。人は失うものには敏感で、得るものには鈍感だ。ある時ふっと何かに気付く。その瞬間から景色は変わる。卵を落としても、チキンポットパイが無くても、もうきっとあんな風に彼は泣かない。いくつかの出会いと別れが、彼の皮膚を厚くした。もう伯父さんのスーツで武装する必要は無い。人はいつだってスタートラインに立てるんだ。絶望のすぐ横には希望。伯父さんは「何もかもいずれはうまく行くさ、すべてはつながっているんだ。」と言い、力強く彼と握手を交わした。私も彼と、そして、今これを読んでくれている人たち全員と、握手を交わしたい。つながってるよ、私たち。