覆面読書会2017秋「ムーン・パレス」エントリーNo.8

※感想文によっては一部ネタバレを含みます。

 

ちびまる子ちゃんの漫画、何巻だっただろうか。失念してしまったが、青春について考える話がある。まだ青春とは無縁の精神年齢であるまる子が祖父の友蔵に「青春とはなにか、いつ始まって終わるのか」と質問するという話だ。

話の結論としては同じ質問を母であるすみれにしたところ具体的な年齢(15歳から27歳だったような)を答えられてしまい、とっくにすみれの提示する青春年齢を超えてしまっていることに友蔵がショックを受けるというオチだ。そう友蔵の青春は気が付かないうちに始まり、また知らぬ間に終わっていたのだ。

 

 『ムーン・パレス』の主人公フォッグは特別な環境だが、普遍的な愛を受けて育っている。父とは面識がなく、母とは幼いころに死別しているが替わりとなる叔父がいた。

叔父はフォッグに多くの愛と財産をくれた。この話はその財産を失っていくことから始まる。若さゆえか、無知ゆえか未来を見据えない自堕落な主人公の人生の屈折から、偶然手にした一筋の光をたぐり、また立ち上がるストーリーだ。

 

 少々脱線だが、上記した青春とは何かということに触れていこう。広辞苑では 「夢、野心に満ち、疲れを知らぬ若い時代。主として十代の後半から二十代までの時期を指すことが多い」

とある。後半の年代に関しては主人公は合致しているが、前半はどうだろうか。主人公は祖父の死後、自らの預金残高と平素の生活費を計算し、具体的に蓄えが尽きる日がわかっていたが、その危機を脱する努力をしない。結果無一文になり、アパートを追い出されてしまう。夢、ましてや野心なんて微塵もない生活だ。

 

 ではなぜフォッグはこんな自堕落な男になってしまったのか。彼はこれまでの人生で父、母、そして最愛の叔父を失ってしまう。それは深い絶望だが、それと同時に彼は生きる基盤を失ってしまったのだ。また彼の夢想的かつ、虚勢をはった性格から自分の哀しみや貧窮を打ち明ける友人を持っていない。その夢想と虚勢に救われたのはほんの短い期間にしかすぎず、彼の心の虚無が広がっていく感覚と生活費が底をついていく様子が、部屋の段ボールが徐々になくなっていく様で深く感じ取れる。彼は自ら発しているSOSを誰にも感知してもらえなかったばかりか、自分でさえ気が付かないようにしていたのだ。

 

 その後フォッグは偶然かつ、運命的な出会いを繰り返し復活していく。その様子はいい意味でも悪い意味でも物語的だが、彼の数奇な運命は小説として面白いだけでなく、彼の人生の今後をしっかりと担う確固たるものになる。彼は多くの出会いと別れを経験することによって自分の足元、さらには自分の背後に知らず知らずのうちに出来ていた足跡の存在に背中を押されるのだ。

 

 月というものは不思議だ。満ち欠けが存在する。しかしそれは我々から見えていないだけであって月は丸く、常に存在しているのだ。フォッグの物語は新月に近づきながら始まる。新月になると月は見えなくなってしまうが、あとは空白を満たそうと、まさに新しい月として光を発するのだ。

 

 この小説はフォッグが高台から満月を見上げて終わる。彼は満月を見ながら何を考えたのであろうか。自らの過去か、将来か。最愛の女性に泣きながら訴えられた「自分を大切にして」という一言か。自分を大切にしてと言ってくれる愛を手にすることができたフォッグはもう過去の自分のようにはならないだろう。

 

 フォッグは青春と、彼の人生を手に入れることができたのだ。それはかつて自分が手放したテーブルやベットだった本たちの中に書かれていたような。