その時の私 パート2

続き。

 

恐らく200名以上在籍している職場ではあるが、交通機関の麻痺や子供の学校や保育園が休みになった事で、出勤している人は少なかった。もしかしたら今水が出ている所も断水するかもと聞いたので、母に電話をし、今のうちにお風呂に水を貯めておいた方がいいと伝えた。職場では防災用の非常食が配られた。缶のきんぴらごぼうはかなりしょっぱくて、これだと水の消費が増えるぜよ・・・と思いながら食べた。暗い所内。パソコンも使えず、もちろん来客が来るはずもない。さすがに今日はもう帰っていいっすか?!という言葉が喉あたりをウロウロしていたが、帰りたいのはみな同じだよなと思い、堪えた。15時くらいにはありがたい事に帰宅していいと言ってもらい、主食が消えたセイコーマートでお菓子を3個ほど買った。途中で雨が降りだすはエレベーターは動かないはで、濡れ鼠のごとく帰宅した。マンションの入り口には念の為にブレーカーを落とすようにと張り紙がされていた。

 

愛犬のトイレシートを片付けて手を洗おうとしても蛇口からは水が出なくて「あぁそうだった・・・」となる。これは何回も繰り返した。水が出ないことには全然慣れなかった。電池が減るのが怖くてあまりスマホをいじらなかった。部屋がとても静かだった。ビオレのさっぱりシートみたいので身体を拭いた。本を読もうにも落ち着かず頭に入らなかった。コアラのマーチが美味しかった。

 

そういえばパスタは長い時間水に漬けてたら柔らかくなるって何かで読んだ!と思い、夜ご飯用にペンネを炭酸水に漬けた。「うふふ、サバイバル術~!」と得意に思っていたが、この時もガスは普通に使えるって事が頭から抜けていた。どんくさ子である。疲れを感じて布団に横になった時に、どこからか誰かが何かを叫んだ声が聞こえた。もしやと思いブレーカーを上げたら電気が付いた。恐らく誰かが「付いた!!」と叫んだのだろう。この時に浴びたシャワーの気持ち良さは今でもよく覚えている。日の光がまだ残っている時間帯に電気が付いたのは相当早い方で、夜に窓から外を見ると真っ暗な地域と電気が付いている地域が混在していた。

 

京極さんが帰宅し、レトルトのナポリタンをペンネにかけて、美味しい美味しい言いながら二人で食べた。念の為、お風呂に水を貯めた。友達に、もしスマホの電池が不安だったらうちに充電しに来ても大丈夫だからとLINEを送った。母からは21時くらいに電気が付いたと連絡があった。寝るまでの時間を暗い中で過ごした人たちはとても不安だったろうと思う。ただでさえ落ち着かない状態の中で、小さな地震が何度も起こる。あれよりも大きいのはもうこないだろうと薄っすら思いながら、じっと揺れが静まるのを待つ。ニュースで厚真町の様子を知り、こちらとの被害の差に唖然とした。恵まれた立場となった状況に少し居心地の悪さのようなものを感じた。出来る限り、変わらない生活を送ろう。慌てず、少ししたら元に戻るんだから。そんな気持ちでその日が終わった。