犬と弁当とわたし

愛犬、ブルブルブルと身体を震わす犬特有の動作をするも、その勢いに踏ん張りきれず、転んだ。フラフラと、クルクルと回る。回り続ける。心配になるくらいに。「バターになるよ」って話しかけたくらいに。水をピチャピチャと飲み、ちょこっとご飯を食べる。イチローの会見じゃないけど、ほんとにこういう姿に尊さを感じる。生きるとはこういう事かと。出来る事を粛々と。今朝、目が覚めたら、布団のすぐ横で、おすわりした状態でこちらを見ていた。いや、座ったまま寝ていたのかもしれない。

 

今日の夜、京極さんは、ごめん食べれなかった、とお弁当を出してきた。お客さんと行動を共にしたよう。なんだろう、その正直さに、何一つ、残念とかそういう感情が湧かなかった。いいんだよーってなった。幼い頃の私なら、言いにくくてこそっとどこかに捨てたかもしれない。無理されるのを嫌う私の事をわかっている人。あと、お弁当作りに全く気合いを入れていないからっていうのもあるのかも。頑張ってるっていう意識がないから、それが相手に届かなくてもさして感情が揺さぶられない。何が自分にとって自然であるかが徐々にわかってきた。一生懸命隠さないといけない事がないって、なんて楽なんだろう。あ、このブログの存在は隠してるけども。

 

今日は森田芳光監督の「わたし出すわ」を観た。小雪が道新ぶんぶん倶楽部のラッピング市電に乗ってた。函館の落ち着いた街並みが淡々と。見返りを求めない1人クラウドファンディング。こうなっていったら嫌だなぁ・・と思う方にいかなくて安堵。懐の深さを感じる映画だった。それぞれがどうなっていったのか、布団の中で思い返そう。ジョージクルーニーはお金をあげた人達と今もうまくやれているといいな。