愛犬

久しぶりの更新。

数か月前、ついに愛犬が旅立ってしまい、この場に向き合うには避けては通れない話題だと思い遠ざけていた。ずっと覚悟をしていたし、安らかな最期だったから、深刻なペットロス症候群になることはなかった。部屋に写真を飾り、その写真を小さなマスコットが眺めているという場所を作った。毎日思い出しているし、京極さんや母とも、ほんとに可愛いかったよねと思い出しては笑っている。

 

ほんとうに可愛い存在であった。もちろん行動に制限はかかったが、その負担を大いに上回る安らぎや慈しむ気持ちを授けてくれた。記憶の中では元気に生きていても、もうあのふわふわな毛に触れない、温かい体温を感じられない事が寂しい。亡くなった後は、金曜日の夜によく泣いていた。私は泣くと翌日のブス度がアップするから、次の日が休みの金曜日は泣くのに適していた。そんな風に涙をコントロールできるくらいの日常を送れていた。

 

愛犬は沢山の人に愛されていた。私の友人は愛犬を「優しい」とよく言っていた。こんなに優しい犬は他にいないよと。言葉を発しなくとも、人に優しいと思ってもらえる存在。人を遠ざけず、吠えず、甘え下手、気付けば近くにいる。そんな犬だった。長生きしてもらいたくて、人間が食べるものやおやつはほとんど与えなかった。でも、いつかそれを後悔してしまう予感がして、晩年は犬用のおやつを少しあげていた。とりわけ、「ボーロちゃん」という名前のお菓子を好んで食べていた。お菓子を用意している段階で目に鋭さが宿り、「シャクシャク」と音を立てて美味しそうに食べる姿が鮮やかに記憶に残っている。

 

愛犬のおかげで、トリミングのお姉さんや、動物病院の方々との出会いにも恵まれた。沢山の人達の支えがあったからこそ、愛犬との日々は大変楽しいものだった。何かが少しでもずれていたら出会えなかったと思うととても不思議だ。大好きで大好きで大好きな愛犬を、これからも大好きでいる。それはもう私が死ぬまで続く決定事項である。