近況

鍋のスープの種類増えたよねー。今日は鍋キューブの鶏だしで野菜とちくわ煮て食べたよ。

 

母は今期は綾瀬はるかのやつと陸王とドクターXと相棒を見てるらしい。豊作な方。これで渡る世間あったら鬼に金棒。体調あんまり良くないらしくてレンタルしに行くのがめんどいようだから、テレビが気晴らしになっているのはありがたい。とりあえず「彼女がその名を知らない鳥たち」がレンタル開始したら観たらいいよと勧めておいた。きっと母は好きなはず。

 

京極さんとは美味しいもの食べて、映画観て、平和にやってます。一緒にいて、なんかバランスのいい人だなぁと思う。変に凝りすぎないというか、料理もこれは作ってこれは出来合いのもので済ますとか、これはいいものを慎重に買ってこれは手軽なもので済ます、とか。

 

この前、町山さんがなんで骨折したかって説明したたまむすびが面白かったようで、楽しそうに概要を説明してくれたんだけど、おもむろにイヤホン取り出して外出先なのに私に聞かそうとしたのが今となっては妙に笑える。「いや、今はいいよ!後から聞くから!」ってすごい勢いで断ってしまったんだけど。映画も多分100本観てないとか言いながらも、ある映画を観終わったら「恋はデジャブとおんなじ感じだね」と私が全く気付かなかった事を言い出したりしてる。マッドマックス怒りのデスロードは相当気に入ったようで、銀のスプレーの事を調べて報告したりしてくれてます。そういや、私がちゃんと読んだことない木根さんの漫画も読んでたな・・・共有できる面白いことがあるのはありがたいです。

 

今月はアキラシアター、ライムスターのライブ、12月はビジランテ公開、僕モテイベント。楽しいことが待ち構えている。健康第一でいきましょう。

近況

とんぼが道案内してくれたのは少し前だったはずなのに、今日の札幌は水分をたっぷり含んだ雪が降りました。小さい頃はスキー授業が憂鬱なあまり、布団の中で、「今年の冬は異常気象で雪が降りませんように・・いや、降ってもいいけど積もりませんように・・」ってマジで神様にお願いしていました。当然のごとく、その願いは叶わないわけなんですが。神様も知らんがなですよね、無宗教のちびっこにそんな事願われても。

 

久々の更新ですが、平和に暮らしています。母も愛犬も元気です。京極さんとはお互い名前と顔を認識したのが八月末で、まだ二ヵ月経っていないことが信じられません。お互い食べる事が大好きなので、外食が余計楽しくなりました。寒くて全然歩いていないので全くもって痩せません。着信履歴に母以外の名前があるのが新鮮です。愛犬も荒ぶることなく、友好的な関係を築いています。

 

先日は京極さんがご実家から車を借りてくれて、定山渓まで残り僅かな秋を探しにドライブに行って来ました。豊平峡温泉でカレーと露天風呂を楽しみ、中山峠では大好きな揚げ芋を食べました。紅葉は真駒内駅近辺が一番見頃だったかな。帰り道、「伊集院さんと町山さん、どっちがいい?」と謎の質問をされて、伊集院さんと答えると、深夜の馬鹿力の「カブトムシの秘密」のコーナーを流し出し、2人で無言で聞きながら、時折、いや頻繁に、ムフフっと笑い合いました。京極さんは「これ好き」と冒頭で先に笑いだすこともありました。お気に入りのコーナーらしいです。

 

午前十時の映画祭で黒沢明監督の「野良犬」と「天国と地獄」を観たことで、過去作をどんどん観たくなっています。新作は「女神の見えざる手」を早く観に行きたい。

恋愛ネタ

9月1日から数回に渡って中年の恋路について書いてきましたが、無事にお付き合いすることとなりました。他のどれでもなく、「もっと話してみたい」が先頭に来たのが私にとって幸せなことでした。お付き合いするまでは家に上がることも上げることもする気が無かったので、飲食店をはしごし、楽しさはあれど落ち着ける居場所が無い彷徨う2人でした。無事にお付き合いが始まり、その人の家に行き、人をダメにする無印良品のクッションの効力を知りました。ほんとに立ち上がるの億劫。こたつ的破壊力。既に何の遠慮もなくくつろいでいます。その人の本棚には京極夏彦さんの文庫本が沢山並んでいたので、この場では京極さんと呼んでいこうと思います。

 

京極さんと付き合う前に初めて一緒に観た新作映画は「スイス・アーミー・マン」で、付き合ってから一緒に観た新作映画は「アウトレイジ 最終章」です。過去作は既に色々観ました。このラインナップを見たら、なんか楽しそうにやってるね、と思ってもらえそうです。「オデッセイ」「悪魔のいけにえ」「仁義なき戦い」「アドレナリン」「酔拳2」。私、酔拳ってずっと酔っ払ったフリをして闘うものだと思い込んでいたからビックリした。あのお母さんの事すごく好きになってね、wiki見たら既に亡くなっていてシュンとしました。動物園に悪魔のいけにえパーカーを着て行ったんですけど、いけてると思ってくれたようですよ。

 

36歳、バツイチ。そういう事に振り回されているのは他でもない、自分自身。私と付き合うことで、彼が周りからどんな事を言われるのかが少し想像ついたりもしました。今回お付き合いするにあたって私が京極さんに望んだことは、何も決めずにいきたい、という事。結婚してもいいししなくてもいい、子供を産んでもいいし産まなくてもいい。なるようになっていく。それが私が一番望むこと。こうしないといけないとか、こうなるのが普通とか、そういう考えはいらない。それを伝えられて随分楽になりました。

 

これから、今受けている優しさに慣れていくんだろうか。ありがたいなぁって思う気持ちが薄れていくんだろうか。わかりません。これは初めての感覚なのですが、一人でいる時、自分より一回り大きい透明な暖かいものが自分を覆ってくれている感じがしています。京極さんには内緒でこの場に書いているので、少しの罪悪感を抱きつつ、でもこれはラブレターでもあるんだよという物は言いようスタイルで今後もやっていきたいと思います。

覆面読書会の雑感

昨日、Twitter上で覆面読書会の投稿順を発表しましたが、念の為こちらでも。

1 けんすさん

2 あみさん

3 まつさん

4 ロンペさん

5 DDDさん

6 ゆみ

7 あべちゃん

8 みかんくん

全員分当てた人はゼロで、5人を当てたけんすさんが最優秀賞でした。

このパソコンの元に7名分の原稿が集まってきたわけですが、なんだろうなぁ、思いの塊を受け取った感がありましたよ。ミスなく投稿せねばと気合が入りました。ムーンパレスを読んでいる時、今この瞬間、他の誰かも読んでたりして、もしかして同じページ読んでたりして、なんて考えてました。「北の国から」の純君とれいちゃんが同じ時間にレンタルビデオを再生していたみたく。一人で勝手にロマンティックさに浸っていました。みんなと会った回数は少ないのに、自分の事知ってもらっている感じがするし、交わした言葉の数よりもずっと多くの何かを共有している感じがしています。ありがとう。みんなの文章、読めてとても嬉しかったです。また!

覆面読書会2017秋「ムーン・パレス」エントリーNo.8

※感想文によっては一部ネタバレを含みます。

 

ちびまる子ちゃんの漫画、何巻だっただろうか。失念してしまったが、青春について考える話がある。まだ青春とは無縁の精神年齢であるまる子が祖父の友蔵に「青春とはなにか、いつ始まって終わるのか」と質問するという話だ。

話の結論としては同じ質問を母であるすみれにしたところ具体的な年齢(15歳から27歳だったような)を答えられてしまい、とっくにすみれの提示する青春年齢を超えてしまっていることに友蔵がショックを受けるというオチだ。そう友蔵の青春は気が付かないうちに始まり、また知らぬ間に終わっていたのだ。

 

 『ムーン・パレス』の主人公フォッグは特別な環境だが、普遍的な愛を受けて育っている。父とは面識がなく、母とは幼いころに死別しているが替わりとなる叔父がいた。

叔父はフォッグに多くの愛と財産をくれた。この話はその財産を失っていくことから始まる。若さゆえか、無知ゆえか未来を見据えない自堕落な主人公の人生の屈折から、偶然手にした一筋の光をたぐり、また立ち上がるストーリーだ。

 

 少々脱線だが、上記した青春とは何かということに触れていこう。広辞苑では 「夢、野心に満ち、疲れを知らぬ若い時代。主として十代の後半から二十代までの時期を指すことが多い」

とある。後半の年代に関しては主人公は合致しているが、前半はどうだろうか。主人公は祖父の死後、自らの預金残高と平素の生活費を計算し、具体的に蓄えが尽きる日がわかっていたが、その危機を脱する努力をしない。結果無一文になり、アパートを追い出されてしまう。夢、ましてや野心なんて微塵もない生活だ。

 

 ではなぜフォッグはこんな自堕落な男になってしまったのか。彼はこれまでの人生で父、母、そして最愛の叔父を失ってしまう。それは深い絶望だが、それと同時に彼は生きる基盤を失ってしまったのだ。また彼の夢想的かつ、虚勢をはった性格から自分の哀しみや貧窮を打ち明ける友人を持っていない。その夢想と虚勢に救われたのはほんの短い期間にしかすぎず、彼の心の虚無が広がっていく感覚と生活費が底をついていく様子が、部屋の段ボールが徐々になくなっていく様で深く感じ取れる。彼は自ら発しているSOSを誰にも感知してもらえなかったばかりか、自分でさえ気が付かないようにしていたのだ。

 

 その後フォッグは偶然かつ、運命的な出会いを繰り返し復活していく。その様子はいい意味でも悪い意味でも物語的だが、彼の数奇な運命は小説として面白いだけでなく、彼の人生の今後をしっかりと担う確固たるものになる。彼は多くの出会いと別れを経験することによって自分の足元、さらには自分の背後に知らず知らずのうちに出来ていた足跡の存在に背中を押されるのだ。

 

 月というものは不思議だ。満ち欠けが存在する。しかしそれは我々から見えていないだけであって月は丸く、常に存在しているのだ。フォッグの物語は新月に近づきながら始まる。新月になると月は見えなくなってしまうが、あとは空白を満たそうと、まさに新しい月として光を発するのだ。

 

 この小説はフォッグが高台から満月を見上げて終わる。彼は満月を見ながら何を考えたのであろうか。自らの過去か、将来か。最愛の女性に泣きながら訴えられた「自分を大切にして」という一言か。自分を大切にしてと言ってくれる愛を手にすることができたフォッグはもう過去の自分のようにはならないだろう。

 

 フォッグは青春と、彼の人生を手に入れることができたのだ。それはかつて自分が手放したテーブルやベットだった本たちの中に書かれていたような。

 

覆面読書会2017秋「ムーン・パレス」エントリーNo.7

※感想文によっては一部ネタバレを含みます。

 

筆者がこのムーンパレスという人物喜劇、もしくは悲劇の感想を書こうとしても何から書き始めればいいのか悩む。こういうときは思いついたところから書き始めることにする。

 

これは感想文を書くという目的なので、この物語と自分の人生(自分の経験と言い換えた方がいいかもしれないけど)、物語と自分との接点を見つけていく作業だ。当然だが筆者は、母親が交通事故にもあっていないし、大学時代に数千冊の本も読んでいないし、聡明な哲学的思考も持ち合わせていない。しかし、時代も土地も違うムーンパレスという500ページ強の物語に自分自身を近づけていきたい。

言い換えると批評する気は更々ないということだ。「ムーンパレス」が大胆な3部構成になっているとか、奇跡が起こりすぎる物語だとか、バーバーがティーンエイジャーのときに書いた小説がこの小説の概観を捉え、かつ大きな奇跡について言及している件とその物語的な効果とか、批評的に論じることは避けたいと考えている。筆者の感想文を読んでもムーンパレスが読みたくなることも、逆に意欲が失せることもないだろう。感想文を書くことによって筆者が自ら認識していない自分自身の輪郭線が見えてきたら、ムーンパレスという作品を味わい、身体の一部として消化吸収できる最高の結果ではないだろうか。

 

少しでも読めば分かることだが、この小説は一人称視点で書かれている。さらに言うと心理描写、とくに本人の語っている部分が大半を占める。会話が少なく、主人公が内部へ内部へと思考を続けていくのはムーンパレスの大きな特徴の1つかもしれない(~かもしれないというのは、筆者が同時代の海外文学に疎いので比較対象がないためである)。主人公の思考の道筋が明らかなのは読書における幸福な点の1つだ。普段の生活で他人の思考が手に取るように分かることはほぼ不可能であるし、例えば映画を観ていても主人公が何を考えるのかを全て言語化してくれることはない。逆にそんな映画があったとしたら、「心の声が全部聞こえるなんて演出、演技が下手!」なんて評判がネットに出回るだろう。得てして俳優が難しい顔して立っていればいいのかというと、それがいいとは筆者は思わないが、観客は「文章化されている分かりやすい」演出を求めていないはずだ。「太陽」(2016年 監督:入江悠)を観たときも、主人公の神木隆之介が絶叫するシーンは評価が割れていた。「分かりやすく絶叫するのはリアルではない」そうである。その点、今作の「ムーンパレス」の主人公であるフォッグは常に心の声を発し続けている。嘘をついているという可能性もあるが、しいて嘘をつく必要もない。彼の思考は全てが分かる。神木隆之介が常に絶叫しているかの如く、フォッグは自分の心をそのまま読者に提示している。

 

読み進めていくと、徐々にフォッグの思考回路を自分の思考回路に同期していくような感覚になる。フォッグの目を通して自分が世界を見ているような、フォッグの肌を通して風を感じているような、マルコヴィッチの穴に入るがごとく、薄皮一枚隔てた没入感に囚われていく。例えば、卵を落とすシーンでさえ、筆者は気持ちが暗くなった。また、電車で丸い石を想像するシーンではフォッグと同様に石の形を想像した(しかし失敗した)。

 

他人の思考を自分と同期していくというのは小説で最も豊かな瞬間であり、「ムーンパレス」は極めて没入度が大きく、幸福な作品の1つだと感じた。

 

全体が彼の自叙伝的であると言っても間違いはない。フォッグは物語の始めから、人生のある地点から振り返って文章を書いている。そのため、物語は何度か時間が飛ぶ。キティという名前は冒頭に登場しており、元友人宅で彼女と会う前に運命的な出会いだと意識させられる。

遠い未来の街角で友人とすれ違うと言及もされる。この物語を読んでいると、読者がフォッグ化されていくのと同時に、フォッグがどの地点から自叙伝を書いているのか強く意識させられる。どんな状況で書いているのだろうと想像させられる。

 

自叙伝というと、中盤、エフィングも自叙伝を執筆しようとする。エフィングの命は風前の灯であり、それは本人も認識している。老人が過去を振り返るように、フォッグも死を目前に振り返っていたのではないか、この物語はフォッグの死によって締めくくられるのではないか、と不安が頭によぎる。月は死のメタファーだ。

 

中盤から終盤にかけては、エフィングの死を皮切りに死の匂いが一層濃くなる。キティの中絶、別れ、実父の死、絶望や孤独を乗り越え多額の富や幸福を得たフォッグをまたしても追い詰めていく。バーバーの書いた物語もより一層、フォッグの死に向けての重苦しい雰囲気を倍増させる。このまま孤独になり死んでいく、もしくは死に近しい状態になるのだと想像し、読み進めるのが憂鬱になる。

 

重苦しい中を必死に読み進めるとフォッグが全てを失い物語が締めくくられる。失ったものは大きいが心は爽やかだ。彼がゼロ地点に立ち、どんな一歩目を歩き出したのか、予言ともいえるバーバーの書いた物語からどのように解放されていったのか、それはこの「ムーンパレス」には書かれていない。だが1ページを読み返すと彼の人生はここから始まったと言及している。踏み出したその先には新しい人生があったに違いない。

 

筆者は彼らとの出会いに勇気づけられた。筆者の現状について言及するのは避けるが、自分自身の皮一枚内側から、2017年の日本の秋の風を感じ、今までの人生の続き、もしくは新しい人生の始まりを生きていくのだ。考えることを辞めず、絶望し、幸福になり、時には孤独になったとしても、月に向けて一歩ずつ歩んでいける、そんな気がした。

 

覆面読書会2017秋「ムーン・パレス」エントリーNo.6

※感想文によっては一部ネタバレを含みます。

 

そろそろコタツを出そう。秋はいつも控えめにやってくる。読み慣れていない洋書に構えていたからか、主人公が思い切った買い物をする時の「清水の舞台から飛び降りるつもりで」ってセンテンスが妙におかしかった。

 

マーク・フォッグはビクター伯父さんから1492冊の本を譲り受けた。伯父さんの死後、放置していた本を読み始めたのは、彼なりの悼みだった。「そもそもビクター伯父さんの書物収集には、いかなる意味における組織性もなかった。本を一冊買うたびに、書棚の、すぐ前に買った本の隣に置くだけだった。」

 

ここで私の脳内は、別の世界にトリップした。

 

ちょうどいい店が見つからず、彼の家で飲み直すこととなった。エレベーターが上がるごとに減る口数。静けさが騒がしい。「へー、こんな感じなんだ」と部屋を見渡しながら、淡いピンクのストールを折り畳む。部屋の奥には壁一面を覆う木製の本棚。文庫本もハードカバーも漫画も雑誌も写真集も、全てごちゃまぜに並んでいる。ちょっと半笑いで、「本棚すごいね。並べないの?種類ごととか」と聞く私に、「並んでるよ。買った順。」と彼は窓を開けながら答えた。買った順・・・思いがけない答えに言葉が出なかった。時が並んでいる。紛れもない彼の軌跡。この本棚は風を含んでいる。何故か性急に抱かれたくなった。この本をめくった指に、触れた事が無かった。鞄を床に置き、ネイビーの前開きワンピースのボタンに手をかける。「この本棚の前で抱いて欲しい。」冗談だと思ったのか、彼は「ははっ。その辺に座ってて。」と私に背を向けてキッチンへ進んでいった。結構マジだったんだけどな・・・外した2つのボタンを留め、鞄を拾い上げながら、「でも漫画は並べた方が一気読みしやすいよね。ドラゴンボールの背表紙見てヤジロベー2人いるとか思いたいもん。」と考えた。持続しない自分のロマンティック具合に、ふっと息が漏れた。

 

これは感想文ではなく妄想文だとお叱りを受けそう。叱ってください。私だってまさかあの一文にここまでピクンとするなんて思わなかった。読書とは自分を知る作業だ。

 

私は主役の彼に何度も話しかけていた。

カレーくらいなら作るよ。あの人の話長かったわぁ。伯父さんと一緒に観た映画、私も観たよ。80日間世界一周。すっかり旅した気分。日本にも来てたね。「あなたは本当に英国紳士ですわね」「私は私だ」って、くー、渋い!カメオ出演フランク・シナトラ、格好良かった。「急ぐと人生損するわ」ってセリフも良くてね。私も変に焦って急いでいた時期があったよ。今となっては狭い場所に自分を閉じ込めていたなって思うんだ。伯父さんの本棚みたく、世界に一つだけの人生を歩めばいいんだよね。誰に評価されるものでもない、自分なり本棚でいい。誰だって優しくしてもらう権利はあるって言い切れるあなたは素敵だと思う。お疲れ様。何も聞かないから横で飲んでいい?

 

何かを失っても、歩き続ければまた何かに出会う。人は失うものには敏感で、得るものには鈍感だ。ある時ふっと何かに気付く。その瞬間から景色は変わる。卵を落としても、チキンポットパイが無くても、もうきっとあんな風に彼は泣かない。いくつかの出会いと別れが、彼の皮膚を厚くした。もう伯父さんのスーツで武装する必要は無い。人はいつだってスタートラインに立てるんだ。絶望のすぐ横には希望。伯父さんは「何もかもいずれはうまく行くさ、すべてはつながっているんだ。」と言い、力強く彼と握手を交わした。私も彼と、そして、今これを読んでくれている人たち全員と、握手を交わしたい。つながってるよ、私たち。