その時の私

とても久しぶりな更新。今日は京極さんが日帰りで出張に行っているので、嬉々としてブログを書いている。

 

更新していなかった期間で最も大きい出来事は、やはり大きい地震が起こった事だ。私の家はその日のうちにライフラインが復旧したので、被災者になったという感覚はない。ただ、自分の中で何かが少し変わったような気がしている。

 

その日は朝の3時台に大きな揺れがあった。寝ぼけ眼で京極さんと部屋を確認した。姿見や棚の上の小物が倒れたくらいで、部屋の被害はほとんどなかった。ネットで情報を得て、時間も時間だったので布団に戻りウトウトした。そんな時すらも、京極さんのベッドに行く事もなく、我が部屋で寝る自分は相当図太いなと思った。怖いから離れないでねとか言えないもんかねお前さん。愛犬は変わった様子はなかった。

 

朝方に職場から連絡網の電話があった。来なくてもいいと言われなかったから、行かなくてはならないのかと少しがっかりした。電気はつかないが、太陽の明るさのおかげで準備に支障はなかった。水道は止まっていたので、愛犬のトイレシーツを活用した。もしこのまま水道がでなかったらメイクを落とせないと考え、日焼け止めだけを顔に塗った。

 

7時過ぎに家を出た。職場へは自転車で20分程。上司は既に出勤していた。母が心配だからちょっと抜けさせて欲しいと伝え出発した。信号は稼働していないから、みな譲り合い。停まって行かせてくれる車がありがたかった。スマホを手に歩いている人たちはみな途方に暮れているように見えた。何せ公共交通機関が全て動いていない。コンビニには既に列が出来ていた。1時間以上かかって母の元へたどり着いた。母の家は一軒家だった為、水が出ると知ってとても安心した。トイレが使えなくなると母の不安定さは大いに増すことが怖かったから、その不安は解消された。腹ごしらえにパンを食べていたら、母は「牛乳温める?」と言ってきて、電気が止まっているから「温めれるか!」と言って爆笑した。でもよくよく考えるとガスコンロは使えるから、間違った突っ込みをした。恥ずかしい。

 

「お水出るならシャワー入れるね!あ、お湯出ないのか!!」

「ガスコンロ使えるからお湯沸かして髪洗えるね!あ、ドライヤー使えないのか!!」

そんな会話を繰り返しては、母と笑った。近くに住む兄も顔を出してきた。念の為に母からロウソクを数本もらい、自転車で職場へ戻ることにした。とても並ぶ気がしないコンビニの列。「そうだ!丸井の前のどんぐり(パン屋さん)で沢山パンを買ってみんなにあげよう!」と張り切って向かったが、営業していなかった。当たり前だ。途中でヘトヘトになり、中島公園では自転車を押して歩いた。公園の水飲み場でペットボトルに水を汲んでいるおじさんがいた。そう、家を出る前に、愛犬用のお水は麦茶と炭酸水どっちがいいかなと考えて麦茶にしたんだった。あんまり飲んでなかったな。

 

母の元へチャリを漕いでいる時は一心不乱で、サバイバルファミリーの藤原紀香ばりに活き活きしていた私だが、職場へ着いた途端、足の疲労がどっと押し寄せてきて、試合が終わった後に痛みを思い出したスラムダンクのゴリみたいだなと思った。「私は着いたんだ・・・」とプルプルとしながら、パソコンの付かない暗い所内で途方に暮れた。

 

一旦終わります。