愛犬へ報告

5人で飲んだ帰りの地下鉄。

男性・女性・その人・私・男性の並び。向かいの座席には誰も座っていないから、ガラスには5人が映っている。それを視界の端っこで捉えて、すぐに目をそらした。本当はガラスに映ったその人を見たかったのだけど、もし目が合ったらどういう顔をしていいかわからないから、一度もガラスを見れなかった。

 

次の日、映画と夜の予定の間の2時間、その人と会った。パターソンを観ながら、映画が終わって下に降りたらその人がいるんだと思ったら、手に汗が滲んだ。まだまだこんな気持ちになれるんだ。階段を降りながら、いい匂いのするハンドクリームを塗った。横を歩いていると顔を見なくていいし、こちらも見られなくて済むからちょうどいい。いい子な振りをすることもなく、いつも通りでいられた。また会いたいと思った。

 

どうなりたいのかは自分でもわからない。好かれたいのか、身体を重ねたいのか、付き合いたいのか。なんだか、どれも違うような気がする。愛犬に、好きな人が出来たよ、と報告をした。愛犬は今日もとびきり可愛い。

いい夜の歩み

母と夕食を共にした。レモンサワーを一口あげた。母は烏龍茶。母の最近お気に入りのアイスはヨーロピアンなんちゃらってやつで、時々一日二個食べてるそう。体重は人生でマックスなので痩せたいらしい。私はお気に入りの猫のホイップクリームちゃん(通称ホイちゃん)の画像を見せた。頼んだ料理の数がちょうどよかった。美味しく食べてくれた。

 

365日、今日みたいな天気だったらいいね。そんな事を話しながら、すすきのから大通まで歩いた。大通のツタヤを二人でウロウロしながら、おススメをメモしてと言われたので、愚行録・友達のパパが好き・淵に立つ・SING・キャロル・リリーのすべて・カルテットをメモ。私がワーワー言うから、改めてローマの休日を観たらしく、2人でオードリーを褒めまくる。母からはシェルブールの雨傘を勧められた。観よう。

 

おー!松尾さん(Aスタジオ見てる)

 

北洋ビッセのBoccaでミニソフトクリームを食べた。ワッフルコーンが好き。そこからは大通駅が近いけど、札幌駅まで歩いてみると母。札幌駅に着いたら、もう少し歩けそうとの事だったので、家の方まで歩いた。歩きながら、私の親友の話をした。

 

母と別れ、イヤホンをして、ダンサブルを聴く。大きい声で「オッオー!」と言いながら小刻みに体を揺らす。母はすすきのから家まで歩いたのだ。すごい。父もいて欲しい夜だった。私史上ベスト今更新中。

 

 

私信のようなもの

父の葬儀の次の次の日には、会社にいつも通り出勤しました。最も近い肉親が亡くなって一週間も経っていない状況でしたが、ありふれた日常に身を置く事を選びました。お通夜に来てくれた方々へお礼を言い、お悔やみの言葉を受け取り、私を見る周りの目に何かしらの感情が含まれている事を認識しながら、仕事をしました。一か月前に父の手作りのお菓子を職場の女性陣は食べていたという経緯もあり、このあまりに急な出来事に、戸惑っているのは自分だけじゃないんだと感じていました。荒っぽくて口が悪い男の先輩が、1行だけの慰めのメールをくれました。その人の背中を見つめ、お礼のメールを返しました。お通夜の日に自身の結婚式があった同僚が、お通夜に参列出来なかった事を詫びに来ました。かえって気まずい思いをさせて申し訳ないと思いました。

 

こういった対応をしながら、私は自分の目が潤んでくる事に気が付きました。職場で泣くなんて言語道断。ありえない。なんとか堪えました。そんな私の様子を感じ取った女性の先輩が、私の手からマウスを取り上げ、立ち上がったファイルを消し、パソコンをシャットダウンし、彼女に促されるまま、私は早退しました。私は、「やさしさ」について考える時、いつもこの女性の事を思い出すのです。きっと、無理しないで帰りなっていう言葉だけだと、大丈夫です、と答えて終わっていたはず。一歩踏み込んだ行動でしか伝わらない事もあると教わった出来事でした。ほんの一瞬の出来事が、生きる上での指針になったり、暗い影になったりするから、油断ならないなぁと思います。

 

しのちゃん、カラシニコフ不倫海峡読んで、書きたくなったのはこれだった。恋愛の話じゃなくて肩透かしかな。コロ助って出てきてしのちゃん思い出したよ。いや、読みながらずっとしのちゃんが脳の後ろあたりにいた。私に読んで欲しいと思ってくれてありがとう。私は好きになっちゃいけない人なんていないと思ってる。墓場まで持っていける話が多い人生は、誰かを大切に守ってる人生でもあると思うのです。

字余りのツイートのようなもの

今日の飲み会で隣になった人が話しやすくて、同い年って事がわかって余計親近感が湧いたんですけど、他の方が、「(こいつ独身だけど)どう?」って感じで、私に聞いてきたんですよね。私はその人に好印象を持っていたのに、咄嗟に、「いや、私バツイチなんで申し訳ないです」みたいな感じで答えてしまいました。なんとなくね、それが自分でちょっとショックというか、何が悲しいって、結構それが現時点での本音だったりするからなんです。まっさらな人には自分はふさわしくないと思ってしまう。いかんなー。この考えは変えた方がいい。何をもってまっさらなのか、そんな基準なんてない。また話したいと思うなら、行動すればいい。

ソース

お隣さんからとうきびをもらった、と母から連絡があったので、実家に寄ってきました。テーブルには、ラップにくるまれた茹でとうきび、綺麗に盛られたレタストマトキュウリブロッコリー、ウィンナー。「これ食べたことある?」と私に見せてきたのはやきそば弁当 旨塩味。無いわ、食べる、と言うと母が袋からかやくを開け、お湯を入れてくれました。人にカップ麺を作ってもらったことありますか?意外になくないですか?「二重生活」で菅田将暉があの状況で麦ちゃんにカップ麺作ってあげたの、すごく好きでした。「普通のやきそば弁当はソースの味が濃いけど、これはあっさりしていて食べやすいの」という母が、生野菜に中濃ソースをたっぷりかけて食べていたのを、私は見逃しませんでした。母は今は野菜が食べたい時期のよう。どんどん食べてくれ。最近思い切って買った桃が美味しくなかったようで、がっかりしていました。甘そうな桃、差し入れしたい。茹でとうきびは抜群の甘さ。ピカピカの黄色。最近連れて行ってもらった焼き鳥屋さんにとうきびと紅ショウガのかき揚げがあってね。「歩いても歩いても」で樹木希林さんが作るとうきびのかき揚げを羨望のまなざしで見ていた私はメニューを見て興奮しました。味も絶品!母にも食べてもらいたいけど、母は鶏肉が一切食べられないから、迷いどころ。

 

実家には沢山のぬいぐるみがあります。昔、母はブンブンを買ってきてと父に頼んだのに、間違えてツネキチを買ってきたらしく、後にブンブンもやってきたのに、今でも家にいるのはツネキチの方です。そのツネキチにはトンちゃんという熊のぬいぐるみが彼女という設定で横にいます。父が母にプレゼントしたトムとジェリーのジェリーのぬいぐるみは母の宝物のようで、棺に入れてあげるからね、と昔から言っています。今の時代は棺になんでもかんでも入れられないので、きっと叶わないかもしれません。そのジェリーちゃんには、たまちゃんという猫のぬいぐるみが彼女という設定で横にいます。

 

矢沢あいの「マリンブルーの風に抱かれて」の他、折原みとの漫画を4冊、実家からこちらの家に持って帰ってきました。折原みとの漫画はどんな話か完全に忘れていたのに、いざ開いたらあーはいはいといった感じであっさり思い出し、迂闊にも涙ポロリでした。「おつかれさま」って相手の頭に缶ジュースをコツってあてる古い感じもグーググーググーググー(コーーーッ)。今度阿部ちゃんに押し付けてみようっと。カビ臭いけど。

「不帰の初恋、海老名SA」を読んだ

とにかく一緒にいるのが楽しくて、離れている時、あの人が私より大切に思えるものに出会ったらどうしよう、なんて不安になる恋をしていました。ドライブ中にミスチルの「youthful days」が流れると、「ねぇねぇ!サボテンが赤い花をつけたからうちにおいでよ!」と運転席の彼にはしゃいで言うのがお約束でした。その私の勢いに、怖いよーといった感じで泣きそうな顔をする彼を見るのが好きでした。

そんな風にはしゃいでいたかと思えば、急にすねたり、素直になれなくて意地を張って後に引けなくなったり。諸々、全開でした。恋人同士ではあったけど、ものすごく仲の良い友達のようでもありました。私は、その人が誰かとキスをしたりセックスをするよりも、手をつないでゆったりと落ち着いた時間を過ごすのを想像する方が辛い、というような事をその人に言った記憶があります。

すごく大切に思いながらも、あぁこの人と結婚する人はいいなぁ、と向かい合わせで食事をしている時に、相手の顔を見ながらよく考えていました。付き合っているのは自分なのに、別れる予定も今のところない状況で、そんな事を考えていました。最後は私が他の人に惹かれ、別れました。あの頃、「〇〇」っていう名前の車がいつか発売すると思う、と私はよく予想していて、それに対してその人が寸評を言うというやり取りをよくしていました。最終的に絞られた2つの案。新車のCMを見る度、あぁ惜しい!とか、でも多分いつか出るよ、と密かに思っています。それをその人が全く覚えていなかったとしても、全然いいもん。大丈夫。

 

坂元裕二著「往復書簡 初恋と不倫」の中の、「不帰の初恋、海老名SA」を読んで思った事です。

早上がりのひととき

とにかく体が丈夫な私は、滅多に仕事を休まない。あまりにもいつも同じ調子なので、上司に「〇〇さんはほんと風邪ひかないよね」と言われた事もある。いつもそこにいる人、いつ掛けても電話に出る人、それだけで得られる信頼感もあるだろうと思っている。むしろ、それくらいしか自分には出来ないという考えでもある。終日休む事はほぼ無いが、年に数回、上の人の予定に合わせて数時間早く帰る日がある。たとえ予定が無くとも。そして、それが今日だった。

 

夜は試写会がある。1度家に帰ってDVDを観ようかとも考えたが、昼下がり特有のジリっとくる日差しを浴びると、どこか涼しいお店で読書をしようという考えに変わった。集中出来れば1冊読み終わるくらいの時間はあった。大通駅近くの石屋製菓のカフェでアイスティーを頼み、西川美和さんのエッセイ「映画にまつわるxについて2」を読み始めた。店内は年配の女性が多く、みな熱心におしゃべりをしていた。果たして、おじいさん同士ってどこに行って何をするんだろうと思いながら、本に目を走らせた。30ページまで進んだ所で、「犬は死期が近づくと、とにかく人の近くに居たがるものだとも聞く」という一文を読んだ瞬間、本を閉じ、まだ半分残っていたアイスティーのカップを手に取り、店を出た。猛烈に愛犬に会いたくなった。顔を見たくなった。撫でたくなった。匂いをかぎたくなった。

 

愛犬は現在14歳。ずっとずっと、いつかはいなくなってしまうんだと自分に言い聞かせている。最近は、私が帰宅しても、気付かずに寝入っていることが増え、もしかして・・・と思いながら触れて温かさを確かめている。私がソファーに寝っ転がって映画を観ている時、愛犬はたいていソファーのふもとで眠っている。愛犬を起こさないようにそっとトイレに行く。終えると、ドアの前で私が出るのを待っている。そんな事が増えた。ちゃんと戻るから慌てなさんな、とかなんとか言って顔を撫でて、指定席に一緒に戻る。

 

愛犬がどこかをぼっと眺めている時、今何考えてるんだろう、と考える。「一人で寝るのもいいけど、この人がいる時も同じくらいぐっすり寝れるな」って思ってくれたら私は最も救われる。仕事をしながら一人で犬を飼うという事は、「(犬は一人でいる時間が多くて)かわいそう」と周りから言われる事にも耐えなければいけない。後ろめたさを感じないわけはない。答えのでないことは、自分のいいように考えるか、考えないに越したことはない。

 

朝、私が身支度を整えていると、愛犬は自らゲージに入っていく。ゲージにはトイレシートとご飯とお水。自ら自分の部屋に戻り、静かに眠る。時間が経ち、私が帰ってくる。その繰り返し。大好きだよ、と何度も伝えている。なんでそんなに可愛いの?と聞いても、白くなってきた目で見つめ返してくるだけである。

 

一時帰宅し、愛犬を撫で、これを書いた。いざ試写会へ行ってきます。