「不帰の初恋、海老名SA」を読んだ

とにかく一緒にいるのが楽しくて、離れている時、あの人が私より大切に思えるものに出会ったらどうしよう、なんて不安になる恋をしていました。ドライブ中にミスチルの「youthful days」が流れると、「ねぇねぇ!サボテンが赤い花をつけたからうちにおいでよ!」と運転席の彼にはしゃいで言うのがお約束でした。その私の勢いに、怖いよーといった感じで泣きそうな顔をする彼を見るのが好きでした。

そんな風にはしゃいでいたかと思えば、急にすねたり、素直になれなくて意地を張って後に引けなくなったり。諸々、全開でした。恋人同士ではあったけど、ものすごく仲の良い友達のようでもありました。私は、その人が誰かとキスをしたりセックスをするよりも、手をつないでゆったりと落ち着いた時間を過ごすのを想像する方が辛い、というような事をその人に言った記憶があります。

すごく大切に思いながらも、あぁこの人と結婚する人はいいなぁ、と向かい合わせで食事をしている時に、相手の顔を見ながらよく考えていました。付き合っているのは自分なのに、別れる予定も今のところない状況で、そんな事を考えていました。最後は私が他の人に惹かれ、別れました。あの頃、「〇〇」っていう名前の車がいつか発売すると思う、と私はよく予想していて、それに対してその人が寸評を言うというやり取りをよくしていました。最終的に絞られた2つの案。新車のCMを見る度、あぁ惜しい!とか、でも多分いつか出るよ、と密かに思っています。それをその人が全く覚えていなかったとしても、全然いいもん。大丈夫。

 

坂元裕二著「往復書簡 初恋と不倫」の中の、「不帰の初恋、海老名SA」を読んで思った事です。

早上がりのひととき

とにかく体が丈夫な私は、滅多に仕事を休まない。あまりにもいつも同じ調子なので、上司に「〇〇さんはほんと風邪ひかないよね」と言われた事もある。いつもそこにいる人、いつ掛けても電話に出る人、それだけで得られる信頼感もあるだろうと思っている。むしろ、それくらいしか自分には出来ないという考えでもある。終日休む事はほぼ無いが、年に数回、上の人の予定に合わせて数時間早く帰る日がある。たとえ予定が無くとも。そして、それが今日だった。

 

夜は試写会がある。1度家に帰ってDVDを観ようかとも考えたが、昼下がり特有のジリっとくる日差しを浴びると、どこか涼しいお店で読書をしようという考えに変わった。集中出来れば1冊読み終わるくらいの時間はあった。大通駅近くの石屋製菓のカフェでアイスティーを頼み、西川美和さんのエッセイ「映画にまつわるxについて2」を読み始めた。店内は年配の女性が多く、みな熱心におしゃべりをしていた。果たして、おじいさん同士ってどこに行って何をするんだろうと思いながら、本に目を走らせた。30ページまで進んだ所で、「犬は死期が近づくと、とにかく人の近くに居たがるものだとも聞く」という一文を読んだ瞬間、本を閉じ、まだ半分残っていたアイスティーのカップを手に取り、店を出た。猛烈に愛犬に会いたくなった。顔を見たくなった。撫でたくなった。匂いをかぎたくなった。

 

愛犬は現在14歳。ずっとずっと、いつかはいなくなってしまうんだと自分に言い聞かせている。最近は、私が帰宅しても、気付かずに寝入っていることが増え、もしかして・・・と思いながら触れて温かさを確かめている。私がソファーに寝っ転がって映画を観ている時、愛犬はたいていソファーのふもとで眠っている。愛犬を起こさないようにそっとトイレに行く。終えると、ドアの前で私が出るのを待っている。そんな事が増えた。ちゃんと戻るから慌てなさんな、とかなんとか言って顔を撫でて、指定席に一緒に戻る。

 

愛犬がどこかをぼっと眺めている時、今何考えてるんだろう、と考える。「一人で寝るのもいいけど、この人がいる時も同じくらいぐっすり寝れるな」って思ってくれたら私は最も救われる。仕事をしながら一人で犬を飼うという事は、「(犬は一人でいる時間が多くて)かわいそう」と周りから言われる事にも耐えなければいけない。後ろめたさを感じないわけはない。答えのでないことは、自分のいいように考えるか、考えないに越したことはない。

 

朝、私が身支度を整えていると、愛犬は自らゲージに入っていく。ゲージにはトイレシートとご飯とお水。自ら自分の部屋に戻り、静かに眠る。時間が経ち、私が帰ってくる。その繰り返し。大好きだよ、と何度も伝えている。なんでそんなに可愛いの?と聞いても、白くなってきた目で見つめ返してくるだけである。

 

一時帰宅し、愛犬を撫で、これを書いた。いざ試写会へ行ってきます。 

 

ドライブ願望と「アートスクール・コンフィデンシャル」

まだ見ぬ好きな人とドライブに行きたい。コンビニに飲み物買いに寄って、そのついでにおやつ買ったり。ドライブスルーして、車運転しながら食べるつもりだったんだけど、公園の横に停めて食べたり。ソフトクリーム食べたり、温泉寄ったり、帰り道、もう少し一緒にいたくて赤信号が嬉しかったり。なんでもないことがスペシャルに思えるから、恋はいい。それが日常になって、ありふれた時間になったとしても。

 

今日はDVDで、テリー・ツワイゴフ監督作「アートスクール・コンフィデンシャル」を観た。美術学校に入学したジェローム。そこでヌードモデルをしていたオードリーに一目ぼれ。自分の才能を周りに認められたいし、オードリーにも好かれたい。でも、周りからは痛烈なダメ出しを受けるし、オードリーは才能を評価されているジョナと仲良くなっていくしで、中々うまくいかない日々。そんなストーリー。恋の結末や美術家としての未来については全く触れないので、読んでもらえたら嬉しいです。

 

この映画、劇的なことが起こるわけではないんだけど、会話が気が利いていて、登場人物のキャラがみな立っていて面白かった。会話で印象的だったのは、同級生の展覧会での話。オードリーが映った写真を見つめるジェローム。その時はまだオードリーのデッサンはしたけど会話は交わしていない。その写真を撮った同級生に、「知り合い?名前とか知ってる?」と聞いてしまい、その女性から「私の写真の事はまるで関係ないわけ?」とキレられる。これ、結構やってしまいそうなミステイクじゃないですか?撮った方からしたら、一言でも写真についての感想を欲しいとこですよね。そこ素通りかい!っていう。

 

また、オードリーのお父さんは美術作家なのですが、その二人の会話もまたいいんですよ。

「小品が2つ売れた。お前の嫌いなのがね」

「嫌いじゃないわ。別の方が好きなだけ」

これもあるあるというか、片っぽ褒めたからって、片っぽけなしたわけじゃないですよ、ってやつ。こういう微妙なとこ突いてくるのがこの作品の面白さ。同級生も癖のある人が多くてね、ツボだったのは、講師に取り入る生徒。講師の似顔絵を課題で取り上げたり、コスプレのパーティでは別の講師の髪形を真似したり。

 

それと、いいなぁと思ったのは、ジェロームは講師や卒業生のおじさんに素直に悩みを打ち明けるんですよね。大人の言うことなんて、って斜めの態度を取らずに、きちんと頼るんです。ある講師は、「(ジョナの作るものは)魅力的には違いないが、だからといって彼が君より優れているわけではまるでない」と言います。これ、ほんとその通りなんですよね。でもつい比べて、あぁ自分はほんとに最低で何も持たない人間だ、なんて考えてしまう。芸術史の講師に、「ある人に・・・彼女に(オードリー)に認めて欲しい・・」と恋をしている事を伝えると、その講師の女性はとーーっても嬉しそうな顔をするの。だから作品を見て意見を、と請うジェロームに、「ダメよ、でも応援してるわ」と伝える。恋をしている若い人を見ると私もウキウキするし、心から応援したくなる。その先に苦みが待っていようとも、素晴らしいことだもん。ただ、おいおいジェローム、それはちょっと違うのでは、と思ったのは、「最終評価に傑作を出せたら、彼女(オードリー)はジョナなんか忘れる」と言っていた事。自分に自信はつくだろうけど、オードリーの恋愛感情がそれに左右されるかっていうとそれはまた別の話だろうに。そんな風にごっちゃにしてしまう気持ちもわからないでもないけど。

 

あー長くなってしまった。卒業生の年配のおじさんがジェロームに言う、「この世を楽しいと思えるヒント」がすごく良くてね、そのセリフと結末は観た人へのお楽しみってことで。さぁ、外走ってきます。

「屋根裏の散歩者」

「屋根裏の散歩者」 窪田将治監督 2016年公開

 

古びた下宿屋。郷田(河合龍之介)と遠藤(渕上泰史)の部屋は隣同士。歯科助手をしている遠藤は、直子(間宮夕貴)という婚約者がありながら、患者の照子(木嶋のりこ)とも関係を持っている。ある日、照子が郷田と遠藤が住む下宿屋に越してきた。

 

 遠藤はのちに直子の父の歯科医院を継ぐ算段であるが、直子との関係で一つうまくいかないことがある。ある過去の影響で、遠藤はサディスティックなセックスでしか欲情しない身体になってしまったのだ。美術学校の学生の照子は遠藤の言いなり。粗野に、暴力的に抱かれている。いつもオドオドしていて、眉間にしわを寄せて許しを請う照子に、遠藤は余計燃えた。一方、直子との情交では、そういった面を解放することが出来ない為、一つになることがままならない。「大丈夫、お疲れなのでしょう」と切ない表情を浮かべる直子を観ながら、果たして、自分の望む交わり方をパートナーに伝え、実行できているカップルはどのくらいいるのだろうと考えた。相手の要望を全て叶えてあげられてると言い切れる人はいるだろうか。今後も関係が続いていく相手よりも、いつ終わるかもわからない、ましてやまだ何も始まってねーよくらいの者へぶつける方が容易いということもあるだろう。大切にしたい人にほど、隠し事をしてしまう。引かれたくないし、嫌われたくないし、悲しませたくない。そういう性質を自覚しているからこそ、まっすぐで正直であろうとする人に、人は寄っていくということもあると思う。そういう体質になってしまった遠藤を、不貞を犯していることを知った上でも、責める気持ちは起きなかった。

 

心ゆくまで愛してもらえない直子の身体はとても綺麗で、あのような胸になりたいと思った。遠藤は眼鏡をかけたまま直子を愛撫していた。ある者が、隠していた牙をむいた瞬間、ざわっとしたと同時に、「いいぞ!そうこなくちゃ!」と気分が高まった。明智小五郎の推理の過程はもう少し丁寧であって欲しいと思ったけど、原作に新たに追加されたエピソードは面白かったし、十分楽しめた。直子役の間宮夕貴さんは、ロマンポルノ「風に濡れた女」でも素敵だった。生命力を感じるセックスシーン、「逃げられると思うなよ」というセリフが記憶に残っている。スタイルはもちろんの事、低めの声が魅力的。12月9日公開の入江監督作「ビジランテ」にも出演するようなのですごく楽しみ。

ぼんやりと

休暇を取っていたのを忘れて、うっかり普通に出勤してしまった職場の方。「幽霊的な感じで・・・」と言って仕事をしていた。

 

今年の3月末、北海道のはじっこの地域へ行くよう辞令が出た50代の男性がいた。「単身赴任ですか?」と聞く私に、「子育ても終わってるのでカミさんと一緒に行きます」と晴れやかな表情で言っていた。たったこれだけの会話が、なんだか胸にずっとある。

 

うちの母は、今でも毎日、父の写真の前にインスタントコーヒーを供えている。母はコーヒーは飲めないけど、特売の日にネスカフェゴールドブレンドをまとめ買いしている。今日も涼しかったね、このまま夏終わるかもね、そんな話を毎日している。

よくわからない話とシジミ

先日、(恐らく)蚊に刺されまして、手の甲が腫れました。

挨拶もなく身体に触れ、針を刺し、血を抜き、痒み成分を残していく。すごいご身分だなと思います。ギブアンドテイクの概念をわかっているようなわかってないような。仕事中、刺された部分が熱を持って痒かったので、ラップで氷を包んで輪ゴムで縛ったものを手に載せて仕事をしていました。徐々に氷が溶けて、簡易氷のうのようになったのを見て、水をラップに包むのは大変なのに、凍らせるだけでいっちょ上がりなんだなぁ、なんかアレみたいだなぁと思いました。アレっていうのは、なんていうんでしょうか、緊張状態にあるものに優しくして取り囲んでしまえば、その緊張が解けても、そこからはもう逃れられないってありませんかね。

 

ちょっとずれてるかもしれませんが、派遣会社のコーディネーターがスタッフを連れ立って、雇用会社に挨拶か面接に行く姿って、妙なイヤラシさを感じるんですよね。「ここの部長、話し方はきついんですけど、いい人なんで。〇〇さんならきっと気に入られますから大丈夫。そんなに緊張しないで。」とかなんとか言っちゃってー「更新確認で3カ月に1回連絡します。〇〇さんもちょっとでも何か困ったことがあったら遠慮なく連絡ください。」とかなんとか言っちゃってー雇われる女の子も健気に「はいっ!頑張ります!」とか言っちゃって。「あー、もうこの人頼りがいあるわ、なんて思っちゃったんじゃないでしょうねー早いよ!まだ早い!余裕がある時は誰だって優しいんだよ!」ってクラゲのような簡易氷のうを見ながらそんな事を考えた私はなんなんでしょう。仕事しろ。手の腫れは引きました。

 

最近、母から頂き物のシジミを分けてもらいまして、ちょくちょくお味噌汁にしてるんですけど、もう最強。シジミ最強。五臓六腑に染み渡る。大根と人参、お豆腐と長ネギとわかめ、大根と油揚げ、じゃがいもとわかめ、玉ねぎと卵、好きなお味噌汁沢山あるけど、ちょっとシジミはもう別枠として考えないといけません。大好きな和幸もお味噌汁はずっとシジミだもんねー。一通り食べ終わった後に、お味噌汁だけお替りしてゆっくり飲むのが好きなんだー。

友達との3時間

昨日のお昼、中学からの友達とご飯を食べた。会うのは2年ぶりくらいかな。今は3人の子供のお母さん。待ち合わせ場所には、旦那さんと末っ子ちゃんもいて、私を見るなり、旦那さんは「当たった」と嬉しそうだった。私の髪が長いか短いかを賭けていたらしい。旦那さんは末っ子ちゃんとどこかで時間を潰してくれるということで、3時間、友達と楽しい時間を過ごした。

 

同じクラスになったのは中学1年生のたった1年だけだったけど、とにかく気が合った私たちは、ずっと交流を続けていた。同じ高校に行こう、という友達の誘いを、頭が足りない、と理由で断らざるを得なかった。友達の高校は校則が厳しく、スカートもひざ丈、ルーズソックスも禁止されていた。私の高校はというと、服装点検のその瞬間だけ既定の寸法でさえいれば、それ以外の時間は何でもありだった。点検が終わった瞬間にぐるぐるとスカートのウエスト部分を巻いて、お気に入りの長さに合わせた。洗って干しているとゲゲゲの鬼太郎の一反木綿かと思うくらい、無駄に長いルーズソックス。それをいかに格好良く履くか。そんな事があの頃には大切なことだった。

 

札幌ではない場所で子育てをしている友達とは、そんなにマメには会えないし、いざ会おうという時くらいしか連絡も取らない。ただ、言葉にはしないけど、会えない時もお互いの身を案じている。それはきっと自惚れではないと思う。いざ会ってしまえば、すぐにいつもの調子で笑い合え、中学の、きっともう会うことのないであろう男子のネタで爆笑したりする。中学1年の頃に流行っていた「夏の日の1993」を懐メロ特集かなにかで耳にすると、きまってその友達とお調子者の男子を思い出す。

 

大通駅のオーロラタウンスープカレーを食べ、職場の人にもらったタダ券で岩合光昭さんの猫の写真展を楽しみ、アフタヌーンティーで友達はショートケーキとホットティー、私はイチゴパフェとアイスティーを堪能した。友達は昔から、仕事帰りに寄り道をして街をウロウロしたり、本屋さんに寄ったりする私をとても羨ましがった。私も結婚をしていた時は、夜ご飯を作ることを使命感のように思っていたから、確かにそんな簡単な事が中々出来なかった。特に友達は最初から専業主婦だったゆえ、そういった何でもない道草が、自分には失われた時間のように思われたのだろう。

 

3人の子育てに追われている友達夫婦は、早く歳をとって、2人でのんびり過ごす日が訪れるのを楽しみにしているらしい。何度となく夫婦一緒の場所に同席させてもらって一緒に遊んでいた身としては、きっと50代や60代になっても、なんやかんや言い合いをしながらでも、2人で美味しいものを食べに行ったり、温泉に行ったり、きっと楽しい時間を過ごせるだろうと感じている。