その日以降の私

その日以降の生活について書きたい。

 

その日以降、スーパーやコンビニは様変わりした。もう回復はしているが、パン、卵、牛乳、納豆、豆腐など、庶民の味方ともいうべきスタンダードな食材が姿を消した。野菜や缶詰、カップ麺などは売っていたから、食べる事には事欠かない。ただ、いつも当たり前のようにずらっと並んでいたものがそこに無いという状態が精神衛生上良ろしくない。職場からの帰り道にはスーパーやコンビニが何軒もあるので、いつも以上にマメに立ち寄って、「無い」という状況を確認しに行くというのが癖となった。明日にはきっと、週明けにはきっと、そんな気持ちでガラガラな棚を眺めていた。

 

地震があったのが木曜日。家に帰れず職場に泊まった人もいた。金曜は午後からお休みをもらい、職場の近くのスーパーの列に並んで野菜と非常時用にやきそば弁当を買った。家に常備していたごま豆乳鍋の素で野菜を沢山食べてほっとした。野菜ってそこから採れる栄養素と、「野菜を食べたぜ!」っていう気持ちを得られる事が健康に繋がっていく気がする。後は、高野豆腐を煮て、パン代わりにとプレーンのシフォンケーキを焼いた。これも電気が付くから出来る事。

 

非常時ではあったが、荒ぶる人を見なかったのが幸いであった。買占めや食材の奪い合いにまで発展せず、周囲の人たちは落ち着いていた。多く買おうとしている人がいても、買い物にいけない人の分まで買っているのかもしれない、誰かに分けようとしているのかもしれない。そんな風に考えるようになった。

 

Twitterで繋がっている仲間が心配をしてくれていて、とてもありがたかった。道内に住む人達がどう過ごしているのか知れたのも良かった。SNSは貴重な情報ツール。小学校からの友達10人とLINEグループになっているのだが、そこでは「今夜大きい地震来るらしい」というどこから聞きつけたのかわからない情報が行き交っていて、そういうものに振り回されるのは嫌だなと思って話半分に流し読みをした。心配の連絡を度々くれる道外の友達に「落ち着いたらこちらから連絡をするから」と連絡を控えてもらうようお願いをしたのだけど、落ち着いたのに連絡をするのを忘れていてとても悪い事をした。

 

地震後2週間ほど、イヤホンを付けて音楽やラジオを楽しむ事がなんとなく出来なかった。自分の趣味は電気が無いと楽しめないものが多いなんて、地震前は考えもしなかった。今は以前と同じ生活を送っている。スーパーに菓子パンがずらっと並んでいるのを見て、涙目になったりもした。沢山の種類から1本の牛乳を選べる事がとても贅沢に思った。無い時に限ってクリームシチューが食べたくなったりするものなんだ。

 

日々タフになっていく自分。必要以上に慌てなかった母にも頼もしさを感じるし、いつも落ち着いている京極さんと暮らしている事で安心感にも包まれている。いくら「ふっこう割」が出来ても、まだ北海道においでよっていう気持ちは湧き上がらない。何気ない毎日は当たり前のようにあるものに支えられている。壊れて、直して、また壊れて、また直して。また何があってもやり過ごしてみせるけど、とりあえず台風はそれてくれ!!