バレンタインデーとホワイトデー

昨夜、母に電話で「明日ホワイトデーでお菓子もらえると思うから、一緒に食べよ。」と伝えた。図々しさもここまで堂々とされたら気持ちがいい。自分で言う。

 

私は複数の上司の個室にちょいちょい顔を出す仕事ゆえ、バレンタインデーを何もせずにやり過ごすには勇気がいる。義理チョコ廃止の風が吹くこのご時世だし、根暗なアラフォーからもらった所で嬉しかないだろ・・という思考にもそりゃなる。でも、あげなきゃあげないで、その日は目が泳ぐだろう。考えた結果、あげる方が自分的に楽だという結論に達した。こう書くとイヤイヤ感が漂うけど、出張のお土産を戴いたり、いつも親切にしてもらっているお礼が出来るいい機会という気持ちが大半なのだ。日頃のお土産の有無でチョコのランクを変えたのは、私のいやらしい所でもある。

 

周りの目を気にして、ありふれた茶封筒に入れて廊下を歩く。「日頃のお礼なので。ほんの少しなんでお返しいらないです。」という言葉をゴクリと飲み込む。渡した時の喜んでくれた(ような)リアクションを見て、心底あげて良かったと噛みしめた。翌日、ある人は「可愛くて食べるのもったいないなってカミさんと話してて、まだ食べてないんだ」と言ってくれて、とても嬉しかった。

 

いざホワイトデー。昨年同様、皆さん素敵なお菓子をご用意してくれた。周りの目を気にして書類で隠しながら部屋に戻る。用意するの手間だったろうに。ありがたい。「一緒に太ろう」を合言葉に母と分け合った。女性社員でお金を出し合って、みたいな職場じゃなくて非常に楽チンである。単独行動ビバ。

今度会ったら、じゃなくて今言おう

昨年末、高校からの友達とご飯を食べた時に本の話題になった。月に1回旦那さんとお子さんと3人で本屋さんに行って、気になった文庫本を5冊ずつくらい買うんだ、と彼女はキラキラした表情で話していた。きっとお店に行く前も、選んでる最中も、帰り道も、1ページ目を開く瞬間もワクワクしているんだろうな。そんな表情だった。

 

彼女の影響で今年は読書量が増えている。彼女が最近気に入っていると言っていた作家は知念実希人。私は知念実希人の「優しい死神の飼い方」が面白かったから、今度彼女に会ったら伝えようと思っていた。ある日、彼女からお勧めしたい本があるとLINEが来た。それは「優しい死神の飼い方」だった。その本には犬が出てくるのだけど、彼女は私の愛犬を思い出しながら読んでいた、と私に伝えてくれた。「〇〇(愛犬の名)はゆみの考えてることとか理解してそうだもん」とも書いていた。わざわざ連絡をくれた事も嬉しかったし、愛犬が読書のお供をしていた事も嬉しかった。自分は友達にマメに連絡をする方ではなく、会ったら言おうと思ってる事が結構あって。いかんなと。ちょいちょい言っていかないといかんなと。そう思い知らされた出来事だった。

 

今朝、東野圭吾の「パラレルワールド・ラブストーリー」が映画化するってネットニュースを読んで、その子に「おはー!これ、〇〇がダメージ受けてた本じゃなかった?」ってURL付でLINEしたら、「YES!!」っておこじょが叫んでるスタンプで返ってきて笑った。大昔、この小説の切なさに彼女はやられていた。きっと見る、らしい。私は、今度会ったら言おう、を溜めなかった。

 

ついさっき、彼女から湊かなえの「花の鎖」を勧める連絡があった。私はすぐさま図書館予約した。誤って「鼻の鎖」と打った事を、牛の絵文字を添えて彼女に伝えた。

「しあわせの絵の具」の感想

※ネタばれしてるのかしてないのかわからないので、そういうのに敏感な方はスルーしてくださいな。

 

今日はシネマフロンティアでアシュリング・ウォルシュ監督作「しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイス」を観てきた。また一つ、好きな作品が増えた。

 

叔母と暮らすモードは家政婦を探す男性エベレットを見掛け・・・・

 

モード役はサリー・ホーキンス。エベレット役はイーサン・ホークアカデミー賞、この映画でノミネートされてもいいくらい素敵だった。最初は冷や冷やしながら二人を見守っていた。徐々に距離が縮まっていく姿には頬が緩んだ。手押し車にモードが乗り、それをエベレットが押す。そのシーンは胸に焼き付いた。絵や棚の雑貨の数、モードの身体の変化などで時間の流れを表現していて、繋がりがとても自然だった。季節の移り変わりも美しかった。

 

私がこの映画で強く感じたのは、優しさを表すにも勇気がいるということだった。きつい言葉遣いで頑固なエベレット。モードが網戸が欲しいと言えば、必要ないと言う。でも無言で網戸を設置する。叔母の家に行きたいモードに送らないと言い放つ。でも無言で迎えに行く。意地を早めに融解して、素直に行動するエベレットを愛おしく思った。一度言った事を曲げるなんて格好悪い、そうやって意固地になっても何も生まない。私は男にも二言があってもいいと思うのだ。もちろん女にも。

 

モードの芯の太さも、存分に私を楽しませた。だって、仕事の面接場所に行って、ここまで歩いてきたからお茶をもらえる?って言えるかい?!そこで許可を得ずに煙草を吸えるかい?!はい。モードはやるんです。冒頭、夜中に部屋を抜けてクラブに行って叔母に見つかるってくだりで、これは私が安易に思い描いたストーリーを超えてくれるのではと予感させた。

 

パンフレットには実在したモードの絵画が紹介されていたり、イーサンホークが出演を決めるきっかけとなった出来事が興味深かったりで、買ってよかったです。時々自分は生きている世界が狭いなって思う事があるんだけど、今目の前に広がる世界を慈しんでいかなきゃなって思いました。自分の窓を磨こう。

眼科

自分のブログは暗い。いつも夜に書いてるからかな。今日は午前中に書いてみる。mcATの富樫さんは「超ハッピースーパーハッピーのりのり!」って歌詞は何時ごろに書いたんだろう。よう兄ちゃん。

 

数週間前から、黒目の一部分が白目に侵食されている。ほんの少しだけ。瞬きをしても支障ないし、放置しようかとも思っていた。病院行くの面倒だし。でも京極さんに言ったら、病院行った方がいいと。逆の立場なら私もそう言う。がさつ・ずぼら・不器用を三本柱に生きてきた私だから、「なんとなーく治ってきた気がするから行かなくてもいっか??ね?ね?」って逃げようとしたけどダメだと言われたので先程眼科に行ってきた。

 

まずは視力検査。自信なさげに答える私に看護士さんが「合ってますよ、ふふふ」と何度も言ってくれて嬉しかった。カーリングのメンバーにいそうな人だった。「カーリング女子に学ぶ、連帯感・肯定感を高める会話術」って新書が出そうな気がムンムン。

 

いざ診察。ベテラン感満載の先生に「いやーーーこの初期症状でよく気が付きましたねぇぇ。すごい!!」と力強く言われて、いやここで調子に乗ったら相手の思うつぼだぞ、と警戒して「はぁ・・」みたいなリアクションを取った。結果は「翼状片」でお年寄りに多いらしい・・・。はぁ。紫外線や潮風、ほこりの影響で発生するらしく、具体的な治療法はないとの事。手術しても再発する場合が多いらしい。私は「それを聞けただけで十分です。」と格好良く答えた。「なんでもっと早く来なかったんですか」って病院で最も言われたくない言葉の一つなんで、それを回避出来ただけで満足。微かな不安が取り除けた。

 

病院行けって言ってくれる人って大事ね。バナナマンのラジオにゲストで来たさまーずの三村さんが、日村さんにそんなような事言ってたの思い出した。自分だけだと放置しちゃうもんね。さぁ、これから「扉をたたく人」を観るぞ。午前中に書いたから、ちょっとはライトな雰囲気になったかしら。

つらつらと

こういう人を人格者というんだろうな、という3人との飲み会だった。ただ楽しくて美味しい、幸せな3時間。こういうのはまれだ。

 

お酒が飲めるってことで職場内のいくつかの飲みのグループに交ざっている。自分から積極的に誘うことはなく、声が掛かれば参加する。行くまではちょっと憂鬱。勤めだした時は飲み会がめんどかった人が大半だろうに、どうして歳を取るとこうも飲みたがるのか、と思う事もある。嘘をついてまで欠席しようとは思わない。誘われるうちが華。ほんとは愛犬を眺めながらDVD観たいし、本も読みたい。この飲み代なら映画何本も観れるのにって脳内で計算することもある。愛犬や母への電話を言い訳に、みんなで連れ立ってお店に行く事から逃げることもあるし、二次会に行かない事もある。飲み会の最中、トイレで一人になるとほっとする。洗面台に置いてある綿棒でゆっくり耳掃除をする事もある。ほんとはアイメイクを直す為に置いてあると知った時は驚いた。当たり障りなく接して、最低限失礼のない範囲で適当な受け答えをする。家に帰り鍵を閉めるとほっとする。昨日はどうもでしたーと笑顔を交わす。飲み会のおかげで食べ物の好き嫌いがほとんどなくなった。

 

愛犬がいなくなったら私はこの家に帰るのだろうか。出会ってからずっと、別れを意識している。お互い相手がどう出るかわからないのに一緒に寝ている。何勝手に信用しているのか。

 

 

認識した話

今日の飲み会で食べた明太もつ鍋が美味しかったな。出汁が身体に染みた。

 

今回は「認識する」って事について書きたいのです。

この前、「このダウン(コート)は10万円くらいするんですよ」っていうネットニュースが目に入りました。ブランド名はカナダグース。そのコートにはブランドを示す大きめのワッペンが付いていて、意識してみると街にそれを着ている人がウジャウジャいるの。あ、あの人も!あ、あの人も着てる!って目につくつく。ネットで知る1秒前までは全く目に留まることのなかったものなのに。それがなんとも不思議で。知る前にはもう戻れないし、戻る必要もない。ただ「知った」だけでこうも景色が変わるもんかねって話。

 

それ繋がりでいうと、今年に入ってから読んだ小説に「ひとりごちる」って言葉があったの。文脈から「独り言を言う」って意味なのはわかった。念の為ネットの国語辞典でも調べて、ほーそんな言葉があるんかってなったのね。そしたらその後読んだ2冊の本でもその言葉が出てきて、え?なんなん?その言葉を認識したから目につくの?じゃあ知る前はどうしてたの?スルー?たまたま出会わなかったの?ってなりました。

 

あ、あと、私がブラックサンダーを認識したのも随分遅くて。それを好きな友達と出会って目に留まるようになったんだけど、それまで存在を全く知らなかった。知った後はもうどこの店でも売っててびっくり。抜群に美味しいし。

 

だからなんやねんって感じでしょうか。これ読んでくれてる人は私をもう知ってるんだね。なんかすごーい。最後にちょっと気になってるんだけど、ワッペンって言い方ダサいのかな。もっとしゃれた言い方あるんでしょうね。おやすみ。

 

ご意見(後半)

続きです。

 

お次はテルコさん!

TSUTAYAには数か月前に京極さんと初めて劇場で観た映画「スイスアーミーマン」が並んでいました。こんな瞬間にも時の流れを感じます。】

※「こんな瞬間にも」が入るのがいいですよね。言わないだけで他でもちょこちょこ感じてるってのが表れていて。1フレーズ加わるだけで雰囲気が変わる。

 

お次はあべちゃん!

「たぶん、固有名詞が多いからだと思います。スイスとかツタヤとか、その辺を思い切って削っちゃうのもいいのかなって思います。」

FUJIWARA原西さんばりの「なるほどな」が出ました。全部をちゃんと伝えようとしすぎてた感あるなぁと。ツタヤってワード無くても支障ないな。

 

お次はジャンキーさん!

【いまお付き合いをしている京極さんと付き合う前に初めて映画館で一緒に観た「スイス・アーミー・マン」がもうTSUTAYAに並んでいて、「あの異様にドギマギした瞬間からもう結構経ったんだなぁ~」となんだか胸にグッとくるものがありました。】

※なんだか頬が赤らみますな。ふふ。観た時と今の感情をしっかり書くと輪郭が見えてくる感じありますね。文章長くなって申し訳ないって書かれてましたけど、なんも申し訳なくないっす。私の文より遥かにいいですもん。

 

お次は四六Sさん!

【初めて京極さんと観に行った映画が「スイスアーミーマン」。その映画がTSUTAYAの新作コーナーでレンタルされているのをみて、時の流れを感じました。このまま時の流れに身を任せ、あなたの色に染められ・・・い~ま~はあな~た~しか~】

※テンさん入りましたー!歌詞入れてくパターン、今後どんどん使わしてもらいます。

 

お次はヤマノウチさん!

【時の流れは早いもので、京極さんと初めて劇場で鑑賞した、スイスアーミーマンがもうTSUTAYAに並んでいました。】

※バランスがいいですなぁ。私のは前半が頭でっかちで後半シューンって感じだけど、滑らか。ほらこの文も頭でっかち→シューン。

 

お次はけっちゃんさん!

【先日TSUTAYAにて、京極さんと初めて劇場で観た『スイスアーミーマン』のDVDが並んでいる姿を見たとき、時の流れを感じました。】

※「見たとき」のときを平仮名にしているのがいい!こういうテクニック使った事ない・・。すぐ後に「、時」が来ても重くない。そういう所からも自分の風合いを出す事も出来るのかー。

 

いやー面白かったです。本当にありがとうございます。「数日前、京極さんと初めて劇場で観たスイスアーミーマンのDVDがTSUTAYAに並んでいるのを見て、時の流れを感じました。」が最初の文です。わー。物足りないし多いし。みんなも日常ブログ書いて欲しいー読みたいなー。私は書き続けます。楽しいから。今度こそ咲かせてみせますブログの花。旅は続くぞこのまま!