覆面読書会2017秋「ムーン・パレス」エントリーNo.1

※感想文によっては一部ネタバレを含みます。

 

読書感想文2017年秋

課題作品「ムーンパレス」

 

物としての本を読んでいると、あとどのくらいで話が終わるのかが物理的情報としてわかります。左手から読了の予感を感じ始めると、面白い本ほど作品に残された時間が減っていくのが惜しくなって読むスピードを少しだけ緩めてしまったりします。

読み手の能動性に左右される読書という行為の在り方は決して時間的な物ではないですが、右側に過去が積み重なり左側に未来の広がる本という形態を読み進めることは主観的にはとても時間的な体験に感じます。

 

ムーンパレスは物語全体を時間が貫いていて、次のページにはあらゆる可能性が広がっていると同時に読んだ瞬間から文章が記憶になってしまうような感覚がありました。この本のページをめくらせる推進力は、読ませる文章や先の気になる物語の力によるところはもちろん「未だ知らない」という事の歓びそのもののようです。

物語は全てを通過した後の主人公の一つ俯瞰した視点で語られていて、そこには彼が物語の途中で鍛えられた世界への観察眼が存分に発揮されています。それを読むことは世界を改めて発見した彼の感覚を追体験するようですし、その根本には"未知"が"既知"に更新される楽しさを強く感じます。

逆に最後まで読むと読み終わった事自体にノスタルジーに近い切なさがあります。この物語は主人公が一人だったところから始まり独りになったところで終わるのですが、それは必ずしも円環ではなく不可逆な物事の余韻を残します。彼にとってその後も人生は続いたはずですが、彼にとって語るべき物語はあそこで終わってしまったのです。

 

ただそういうセンチメンタリズムは読み終わった時にそれぞれが感じれば良い事で、読んでいる最中は作者自身「私がいままで書いた唯一のコメディ(訳者あとがきより)」と規定する作品の文の流れに身を任せてページをめくれば良いでしょう。この本の主人公の再解釈を突き詰めた文体にはドライなユーモアがあります。

例えば終盤に主人公がある「大きな人物」と初めて直接会う場面。そこで彼は簡単に言えば「思ったより大きかった」という事を「思ったより大きかった」という言葉を使わずに描写するのですが、本来1行で済むところを一生懸命描きこもうとした結果「三次元という概念が並の人間よりはるかにはっきり具現化されている感じ」とか「何重にも筋の入った堂々たる首から巨大な禿げ頭をつき出している姿は、ほとんど伝説上の存在のように見えた」とか「それはただの失礼な嫌味じゃないか」という文章が延々19行も続くことになります。

特に主人公は「想像以上」や「予想外」を表す時にその語彙や慧眼に必要以上の冴えを見せるのですが、そこでの表現の絶妙な婉曲が逆に失礼でおかしかったり、時に未知を発見する歓びに溢れていたり、当たり前を改めて表現する事の目からウロコが出るような楽しさと物語が新しい事実を獲得する面白さが常に密接で、だからこそ起きる物事以上に先を読みたくなる面白さがあります。

 

短い本ではありません。随所に劇的な筋書きもありますが、それなりに話は迂回したり脇道に逸れたりします。

でも違う国の、違う時代の、全く違う人生の人間、その人の見たもの、感じた事、起こった出来事と繋がって自分の世界を広げることは物語に触れる根源的な歓びの一部です。

物語というのはいつだって「History」ではなく「His story」が担ってきたからです。