末井さんと荒木さん

昨日はダウンコートをクリーニングに出した。フードは別料金と言われたので、ズザッと取って、じゃぁこれはいいですと言った。地下鉄までの道すがら、手袋、マフラー、ニット帽を順に脱いでいった。春はぐいぐい来ているけど、これから冬が最後の意地を見せてくることは、37年北国育ちだから知っている。

 

すすきののサイゼリアで岡宗秀吾さんの「煩悩ウォーク」を一気読み。岡宗さんは大根監督とテレビマンズってイベントをやってる話し上手な業界人というイメージ。妹さんとのやりとりは兄を思い出さずにはいられなかった。キョンシーの真似を本気でしてきて、いっちゃった目でトイレまで追っかけてきて心底私を怯えさせたあの兄の事を。今も昔も仲は良くないあの兄の事を。第二弾が出たら是非読みたいと思う。

 

その後はスガイディノスで「素敵なダイナマイトスキャンダル」を観た。原作者の末井昭さんを知ったのは、荒木経惟さんの奥様、荒木陽子さんのエッセイ本を買ったことがきっかけである。10数年前かな。エッセイ本「愛情生活」に「陽子さんの想い出」というタイトルの別冊付録がついていて、それに末井さんは寄稿していた。短い文章ではあったが、文中に出てきた「ダイナマイト心中」という言葉のインパクトはずっと胸に残っていた。人の死に無感動で自分は人間として欠陥があるのではないかと考えていた末井さん。でも、陽子さんの死が、「本当に愛せる人がいたら、お互いの生命は大事にしなければいけない」と教えてくれたという。その後、末井さんの「結婚」を読み、飄々としていて、なんだか憎めない人だなぁと思った。凄い環境に置かれても、悲壮感が漂っていない。説教臭さが無い。私が感じた末井さんのイメージを映画はそのまま捉えていた。

 

映画を観た後、京極さんのおうちへ行った。一緒にouchiというお店でスープカレーを食べた。ホットペッパーのクーポンで、私はブロッコリー、京極さんはオクラを追加トッピングした。家に帰り、京極さんに録画を頼んでいた荒木さんのドキュメンタリーを見た。BSでやっていた「七十七歳の切実」。

 

荒木さんの写真で唯一私が涙をこぼした作品がある。陽子さんのこの表情を捕らえた荒木さんすごいと思っていた。そのドキュメンタリーでは、荒木さんが自分の作品で1作選ぶとしたらこれ、と私の意中の作品を挙げた。まじか。いや、そうか。だって本気で素晴らしいもん。ドヤ顔したい所だったけど、京極さんにバレないように目の淵に溜まった水をぬぐった。「素敵なダイナマイトスキャンダル」で荒木さんを演じる菊地成孔さんの腕に入れ墨があって、あれ?荒木さんは入ってないはずなのに、と思っていた。ドキュメンタリーに荒木さんのお父様の遺体の写真が映った。その腕に入れ墨があった。

 

パラソルの下で笑う陽子さんも、猫のチロちゃんももう生きていない。荒木さんのサイン会に行くと張り切っていた私に、「抱きついてきなさい」とアドバイスをくれた母も、なかなかである。

書くこと

読んでくれる人がゼロ人でも私はブログを公開し続けるのかな。書きたい欲と読んでもらいたい欲の割合が自分でもわからない。

 

数か月前、福山とか天海祐希が出ている番組で、浦沢直樹が「絵は毎日描けばうまくなる」というような話をしていた。そしたら文章も毎日書けばうまくなるのかな、とぼんやり思った。ってことは、文章うまくなりたいんだろう。ここは自分を吐き出す場だから、出来るだけ気持ちに合った言葉を繰り出したい。そして、嬉しかった事を吐き出したい。例えば、ポルトがまだ観れてなくて「早く観たい、自分はポルト好きな気がする」って言った時に、既に観ているさっちゃんさんが「好きだと思う」って目を見て言ってくれた事とか。実際好きだった。あの時ほんとはとても嬉しかったんだー、が溜まっている。

 

秀でたものがない学生時代だったが、唯一自分だけが選ばれた事があった。小学校の卒業アルバムにクラスの代表として詩が掲載された。何作か匿名で先生が読んでいって、沢山手が挙がったものが選ばれるって流れだった。担任の先生から、「2位だった子のこの部分もいいから、これも混ぜて書き直して」って言われて、今思えば大いに引く出来事ではあるんだけど、選ばれた事は素直に嬉しかった。だからといって、国語が得意でもなかったし、読書感想文は苦痛だった。

 

今はブログを読んでもらえてとても嬉しい。ここに書かれてる事だけで、ゆみってこういう人、って決められていい。自分ってほんと何もないな・・って思う時もあれば、毎朝同じ時間に起きて、吹雪の中出勤している時に、これで十分じゃない?って思う時もある。友がみな、われよりえらく見ゆる日もある。こんな自分をふいに羨ましがられて驚く日もある。うまくオチが見つけられない夜だってある。

母との時間

今日は我が家に母が来た。前日から仕込んでいたフレンチトースト。「わー喫茶店みたい!」とはしゃぐ母。以前何度か作った時にも喜んでくれていたんだけど、「フレンチトースト初めて食べた!」と言われてズコー。母は、みかん、りんご、イチゴ、プリン、ククレカレー、オロナミンC2本をお土産に持ってきた。前日に伝えた「手ぶらで来てね」を振りだと思ったのか?なんもいらんのに。

 

母は最近観た映画で面白かった作品を私に伝えようと、小さな紙にメモしていた。それは、「恋人たち」と「リップヴァンウィンクルの花嫁」の2作。安藤玉恵さんいいよねーと言い合う。「1日1本映画観るのが幸せ」と言っていた。近くのGEOまじで潰れないで欲しいね、と2人で願う。レンタル屋さんと銭湯に行くのが母の運動であり気晴らし。最近は家でラジオ体操をしていると言っていて、なんとラジオ体操のDVDを持ってるとの事。いつどこで買ったのかはなんとなく聞かなかった。母には母の世界があるんだ。「うち、第二のこれが好きなの」と母の前で体操をした。

 

母が愛犬といちゃついている間に、お土産用に卵焼きを作った。最近よくお味噌汁を作っているようで、お味噌汁いいよねーと言い合う。小分けになってるお豆腐が便利だって。私がちょっと脅したから、母は、愛犬と会うのはもしかしたらこれが最後になるかも、と感じていたかもしれない。フレンチトーストを喜んで食べる母、母が持ってきた犬用おやつにがっつく愛犬を見て、食欲があるのはいいことだ、と胸をなでおろす。

 

母は私が描いた愛犬の絵を見て、「ふくろうみたい」と笑っていた。犬だし!

年に2回、予防接種の為に通う動物病院。病院はうちから遠い。今までは、元旦那さんとご両親との対面タイムのついでに病院に寄ってもらっていた。でも、今回ワクチンのお知らせハガキが来た時、京極さんに頼もうと思った。

 

車じゃないと行きにくい場所だから、ご実家から車を借りてもらうことになる。何かあったらいつでも駆け込めるように、今の家の近くの動物病院に転院しないととは思っている。でもその気持ちと同じくらい、雰囲気が暖かくて、穏やかなご夫婦ふたりで経営している動物病院に、最後まで通いたいとも感じている。それを伝えると、京極さんは「獣医さんの人柄、大事だよね」と、嫌な顔一つせず一緒に行ってくれた。

 

愛犬が敷いているクッションのぺちゃんこ具合を気にして、新しいのを買ってくれた。ブラッシングしてる京極さん、されている愛犬をキッチンのカウンターから見ていると幸せな気持ちになった。こういう経験があるからか、映画でも連れ子ものとか、血縁関係が無くても家族の匂いが感じられるシーンに弱かったりする。

 

愛犬にはおやつも人間が食べるものも、ほとんどあげてこなかった。余命がわかったらあげるねーなんてふざけて言っていたけど、もうそろそろ、その時期なのかもしれない。マックスで4.8くらいあった体重が3.8になっていたのは少し堪えた。痩せた事に気が付かなかった。だいーぶ前、母に、「〇〇(愛犬)ちゃん、死んでも腐らないならずっと家に置いておきたい」というような事を言ったら、母は「それは辛いよ」と言った。そうだよね。うん。温かい愛犬をいっぱい触ろう。明後日は母が久々に愛犬に会いに来る。

お酒のはなし

送別会シーズン。とても良くしてくれた方々と3月末でお別れ。寂しい。でも、今後も時折飲めそうなくらいの関係を築けたと思うから。よし。

 

私はカウンターでふろふき大根を食べながらお酒を飲む大人になりたかった。イメージとしてはこじんまりとした小料理屋さん。その願望を口にする度、父からは将来酒飲みになると言われていた。父は毎晩一人で晩酌をしていた。初ボーナスで「響」を買って渡したけど、高いのより安いの何本かの方が嬉しいって母に言っていたらしい。照れ隠しか。いや、奴はマジだ。それでも一番目立つところに空き瓶を置いていた。私はお酒の味がそこまで好きではなかったから、家族の前では無理して飲むこともないと思っていた。それゆえ、父とは乾杯した記憶が無い。

 

小さい頃、冷えれば冷えただけいいんだろうと勘違いして、父が飲んでるビールのグラスに氷を入れた事があった。可愛い。私、可愛い。土曜の夜は少し早めにお店を閉めて、父と母と3人でよくアリオに買い物に行った。割引のシールを貼るおばちゃんの後をつけて、お刺身を買っていた。時々マグロをもらって食べていた。私は今、お刺身を肴に日本酒を飲むのがとても好きになったんだよ。酒飲みに流されて、変わってゆく私を、あなたは時々遠くで心配してて。

 

とにかく楽しく飲むのが好きだ。その場にいない人の噂話や悪口はいらない。ドンキーなら何バーグディッシュが好きかとか、子供の学校で流行ってるギャグの話とか、野菜で何が偉いと思う?とか、そんな何も残らないような話がしたい。

バレンタインデーとホワイトデー

昨夜、母に電話で「明日ホワイトデーでお菓子もらえると思うから、一緒に食べよ。」と伝えた。図々しさもここまで堂々とされたら気持ちがいい。自分で言う。

 

私は複数の上司の個室にちょいちょい顔を出す仕事ゆえ、バレンタインデーを何もせずにやり過ごすには勇気がいる。義理チョコ廃止の風が吹くこのご時世だし、根暗なアラフォーからもらった所で嬉しかないだろ・・という思考にもそりゃなる。でも、あげなきゃあげないで、その日は目が泳ぐだろう。考えた結果、あげる方が自分的に楽だという結論に達した。こう書くとイヤイヤ感が漂うけど、出張のお土産を戴いたり、いつも親切にしてもらっているお礼が出来るいい機会という気持ちが大半なのだ。日頃のお土産の有無でチョコのランクを変えたのは、私のいやらしい所でもある。

 

周りの目を気にして、ありふれた茶封筒に入れて廊下を歩く。「日頃のお礼なので。ほんの少しなんでお返しいらないです。」という言葉をゴクリと飲み込む。渡した時の喜んでくれた(ような)リアクションを見て、心底あげて良かったと噛みしめた。翌日、ある人は「可愛くて食べるのもったいないなってカミさんと話してて、まだ食べてないんだ」と言ってくれて、とても嬉しかった。

 

いざホワイトデー。昨年同様、皆さん素敵なお菓子をご用意してくれた。周りの目を気にして書類で隠しながら部屋に戻る。用意するの手間だったろうに。ありがたい。「一緒に太ろう」を合言葉に母と分け合った。女性社員でお金を出し合って、みたいな職場じゃなくて非常に楽チンである。単独行動ビバ。

今度会ったら、じゃなくて今言おう

昨年末、高校からの友達とご飯を食べた時に本の話題になった。月に1回旦那さんとお子さんと3人で本屋さんに行って、気になった文庫本を5冊ずつくらい買うんだ、と彼女はキラキラした表情で話していた。きっとお店に行く前も、選んでる最中も、帰り道も、1ページ目を開く瞬間もワクワクしているんだろうな。そんな表情だった。

 

彼女の影響で今年は読書量が増えている。彼女が最近気に入っていると言っていた作家は知念実希人。私は知念実希人の「優しい死神の飼い方」が面白かったから、今度彼女に会ったら伝えようと思っていた。ある日、彼女からお勧めしたい本があるとLINEが来た。それは「優しい死神の飼い方」だった。その本には犬が出てくるのだけど、彼女は私の愛犬を思い出しながら読んでいた、と私に伝えてくれた。「〇〇(愛犬の名)はゆみの考えてることとか理解してそうだもん」とも書いていた。わざわざ連絡をくれた事も嬉しかったし、愛犬が読書のお供をしていた事も嬉しかった。自分は友達にマメに連絡をする方ではなく、会ったら言おうと思ってる事が結構あって。いかんなと。ちょいちょい言っていかないといかんなと。そう思い知らされた出来事だった。

 

今朝、東野圭吾の「パラレルワールド・ラブストーリー」が映画化するってネットニュースを読んで、その子に「おはー!これ、〇〇がダメージ受けてた本じゃなかった?」ってURL付でLINEしたら、「YES!!」っておこじょが叫んでるスタンプで返ってきて笑った。大昔、この小説の切なさに彼女はやられていた。きっと見る、らしい。私は、今度会ったら言おう、を溜めなかった。

 

ついさっき、彼女から湊かなえの「花の鎖」を勧める連絡があった。私はすぐさま図書館予約した。誤って「鼻の鎖」と打った事を、牛の絵文字を添えて彼女に伝えた。